2011年11月27日日曜日

魚市跡地には上海航路のターミナル整備を

県庁舎移転がいよいよ動きそうだが。

移転について防災面で不安だという声もあるが、それ以上に、移転先である魚市跡地は上海航路のターミナルとして整備すべきであるから、私はここに移転するのは絶対にやめた方がいいと考える。

上海航路は定期航路として開設される。
ところが、この上海航路の利用岸壁が、クルーズ船接岸時には、松が枝埠頭ではなく柳埠頭になる、らしい。

そもそも、定期航路であるのに、その接岸岸壁が日によって違うというのは、どうであろう。しかも、松が枝より遥かに不便な柳に着いて、どうするつもりだろう。県は、本当に上海航路を発展させようという気持ちがあるのかと、正直疑問に思う。

上海航路で利用される船は貨客船である。貨物も積める。日本と中国との物流量は増えているので、船の運営会社としては、収益をあげるために、貨物も運びたいだろう。しかし、松が枝では貨物の積み下ろしをするのはまず不可能である。かといって、貨物を優先させて柳を日常的に使うとなれば、現状では貨物より重要な旅客に対して、ものすごく不便になる。

これが魚市跡地にターミナルを作るとなると、一気に解決する。貨物の積み下ろしスペースを作ることは可能だし、長崎駅のすぐそばなので、旅客にとっても、ものすごく便利である。

また、新幹線の誘致に関して、「上海航路とつながる」というのは、国に対して大きなアピール点になる。魚市跡地に上海航路が就航すれば、新幹線とのアクセスも抜群だし、逆に言えば、柳を使うなんてことをすると、新幹線との接続なんて、本気で考えてないと思わざるを得ない。


ところで、上海航路を運行するHISグループは、航路開設の最大の目的を、中国からの観光客をハウステンボスに呼び込むことに置いているだろう。そうなると、長崎港よりも、佐世保港に定期航路を開設した方が便利なのは明白である。現在は、佐世保港に施設が整っていないから、暫定的に長崎港を利用しているだけだ。当然、佐世保港も国際航路が就航できるような体勢を整えるべく、頑張っている。

長崎港と佐世保港では、港湾管理者が違う。長崎港は長崎県で、佐世保港は佐世保市である。となると、長崎港がのんびりとしている間に、佐世保港が上海航路を長崎から奪い取ろうと考えるのは、当然のことである。長崎港がのんびりしている間に、一気に佐世保港が攻勢をかけ、HIS側が佐世保を選ぶ、ということになるのは、かなりの確率で考えられることである。

もちろん、それは佐世保にとってはいいことであるので、長崎がのんびりすることを本心では望んでいるのかもしれない。しかし、全く個人的な意見であるが、私は上海航路は長崎港から出て欲しいので、長崎県も、HISに選んでもらえるように、しっかりと長崎県は長崎港を整備してもらいたい。

HIS側は県に対して、ハード面の整備を望んでいるらしいという話も聞く。県も、本当に上海航路を大きく伸ばしたいと思っているのなら、HISに逃げられないように、長崎港の港湾管理者として、しっかりとした施設を整備して欲しい。上海航路を柳埠頭に接岸させるなんて、本当に航路の重要性を考えるのであれば、絶対に考えられない発想のはずである。

2011年11月16日水曜日

新長崎県立図書館は大村市へ

県立図書館の老朽化に伴い、改築してどこに新図書館を作るのかということに関して、長崎市と大村市で誘致合戦が行われている。

大村市の言い分は、県土の中央に位置するので、県全体からのアクセスが便利だ、という点、長崎市は、長崎研究の拠点として、研究者が多くいる長崎市に立地すべきだ、という点が、それぞれ最大の主張のようだ。

実際に県立図書館がどの程度研究拠点として活用されているのか私は全く知らないのだが、一応、大学に長い間身を置いた研究者としての視点から、長崎市立地の必要性を考えてみる。

正直言って、県立図書館でしか得られない資料を活用するために、年に5回以上県立図書館を利用しているという長崎市在住の研究者は、せいぜい1桁じゃないかな、と思う。これは全く現実と外れた数字かもしれないが、その辺について、長崎市立地を主張する人には、是非数字を出して欲しい。

それで、その人たちが長崎市に住んでいるからといって、図書館が長崎市に立地する必要があるか、といえば、かなり疑問である。例えば週に1回位図書館に行くとしても、長崎から大村に行く、というのは、研究者だったら普通にできることだ。というか、その位やらなくて研究者を名乗るな、と言いたい。現実には毎日大村から長崎まで通勤通学で通っている人も沢山いるんだから、行けないはずはない。

ここからが本題なのだが、長崎研究(もちろんここでの「長崎」とは「長崎市」ではなく「長崎県」だ)を担う人間が長崎市に集中するのか、集中させるべきなのか、ということを考えなくてはならない。

まず、長崎市周辺の大学で、長崎研究の拠点を作ろうと思った所で、それだけのポストを用意することができるのか。まず無理でしょう。そんなポストがあるのなら、是非私をどこかの大学で雇って下さい(苦笑)。今ある研究ポストの中で議論をするのが現実的である。

そして、長崎県の研究をする人間を増やしたいのか、となれば、当然増やしたい、となるだろう。では、具体的にどういうポストの人が研究者として増やせるのか。これも現実でいえば、公務員(学芸員・高校教諭など)しかないと思う。それから、未来の研究者として、大学生も考慮に入れる必要がある。

まず大学生からいえば、県内の大学は長崎市内だけにあるのではない。佐世保にもある。社会人より学生の方が交通弱者なので、アクセスのいい場所に図書館があった方がいいのは、議論の余地がない。となると、JR大村駅近辺が最適である。

次に公務員。これは県内全域に勤務・在住している。こういう人たちの研究環境を考えてあげれば、やはり県全体からのアクセスが便利な場所に図書館を作るべきだ。例えばの話、長崎市内の高校に勤務していた先生が佐世保に転勤になったとする。これで極端に図書館へのアクセスが悪くなって、研究を継続させることが困難になる、という事態は、容易に想像できる。

正直言って、大学の先生は、多少アクセスが悪くても無理してでも通って欲しいと思う。他の仕事に就く人たちの方を向いて、アクセスを考えるべきだろう。

もう1ついえば、一支国博物館との連携も考えるべきだと思う。そうなると、空港がある大村市に新図書館を立地させた方が絶対にいい。


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私は以前東京に住んでいた時、東京の人は何か作る時に、「東京に作って当然」という言い方をすることをよく感じた。

地方出身者からすれば、「それは東京以外の場所に作るべきじゃないかな?」と思うようなものでも、「東京ありき」という風潮があって、ちょっとおかしいんじゃないかな、と感じていた。

今は長崎市に住んでいる。長崎市も県都であるので、立場は逆になった。上のことの裏返しで、「ほんとうに長崎市に必要か?」ということを、つねづね考えないといけないと思っている。

県庁舎にしても県立図書館にしても、「ほんとうに長崎市に必要なのか?」ということは強く意識するようにしているが、こと県立図書館に関しては、大村市立地の方が絶対にいいという気がする。

2011年10月24日月曜日

食農資源経済学会長崎大会に参加して(3)

大会では、長崎県農政課長から、長崎県の農業についての説明もあった。
私は以前書いたように、長崎の農業については詳しく知らなかったので、とても有意義だった。

ここで一番興味深かったのは、長崎県の農業は、全国レベルでみても、近年大規模化が進んでいる、ということだった。

県の調査によると、販売金額1,000円以上販売農家の、平成7年と平成17年の数を比較すると、長崎県は142.7%に伸びており、これは全国の都道府県の中で1位である。

また、施設のある農家数は102.7%で3位(3位の県までが増加、ほかは減少)、施設面積では121.9%で2位である。
どちらも、全国平均値は減少している。

私も何となく感じていたことだが、長崎県の農業は国内では、比較的元気である、ということが、数値で現れているといえよう。もともと長崎県は土地条件が悪かったので、近年、それを克服する経営体が育ってきている、と考えられる。

これは長崎に限らず全国共通した話であるが、農業経営の大規模化というのは、着実に進んできている。小規模農家だと経営が成り立たないので、おのずと大規模化していくのは、自然の流れである。

長崎県でも、この流れに乗って、さらなる大規模農家への集約を進める方針だ、ということである。


またちょっとだけTPPの話を持ち出すが、TPPに参加すると、小規模農家が潰れる、といって反対する人が多い。しかし、現実の流れを見ると、TPPの参加如何に関わらず、小規模農家が衰退していくのは、自然なことである。

この自然の流れを無理矢理食い止めようとするのか、さらに加速させようとするのかは、考え方次第である。ただ、「日本では大規模経営はできない」などと、現実の農業経営の流れを見ずに反対だけするのでは、多くの国民の理解を得ることはできないのではないか、と、私は思う。

2011年9月27日火曜日

食農資源経済学会長崎大会に参加して(2)

2日目の議論から。

2日目の共通テーマは、『国際環境変化の下での地域農政のあり方』だった。
はっきり書いてはいないけど、明らかにTPP対策のテーマだろう。

報告は4人。そのテーマだけ書くと、
「国際環境変化の下での農業経営戦略と地域農政」
「次期EU共通農業政策(CAP)の方向性」
「韓・米FTAの締結と韓国農業の対応」
「ながさき農林業・農山村活性化計画について」

4人目だけは長崎県の話だが、全体を通して、TPP対応の議論であることは間違いない。
こうした国際的な対策を考える機会を長崎で作って頂いたことに対して、学会の方々には感謝する。

そもそも、TPPの賛成や反対は別にして、導入したらどうなるかという議論をするのは、本来重要なことのはずである。しかし、特にマスコミでは、賛成ありき、反対ありきの、結果ありきから導き出された理由ばかりが語られる。

もちろん、研究者レベルや(多分)高級官僚の方々は、TPPの影響に関する議論は、沢山やっている。しかし、長崎のような日本の端に住んでいると、こうした議論に接する機会は、ほとんど無い。

私も、東京大学という組織内部にいた後、長崎に戻ってきて、長崎で一般人をやってみると、いかに中央の情報が入ってこなくなるかということを痛感した。


前置きはさておき、私が今回の報告で特に注目したことを書きたい。

まずはEUの農業政策についてである。

国際的な議論がどう進んでいるかがわからないと、何故TPPの議論とEUの農政が関係してくるのかは理解しずらいだろう。EUの農政が重要なのは、ウルグアイラウンドの合意に遡る。

ものすごく大雑把な話をするが、ウルグアイラウンド当時の世界の貿易は、日本・アメリカ・EUが中心となっていた。そして、この3者が国際貿易のルールを作る主役であった。

こと農業に関していえば、アメリカと日本・EUの政策が対決することになる。というより、日本にとって、アメリカの農業よりEUの農業の方が親和性が高い。となると、日本がEUと組んで、農村保護的なルールを作って主導権を取れれば、アメリカを押しきれる、ということだ。

ウルグアイラウンドの時代は、日本国内の雰囲気からすると、自分たちが国際ルールを作る主体になる、という気持ちは希薄であった。国際ルールというのは、どこかで定められたものを日本が受け入れる、という感覚だった。

そして、ウルグアイラウンド締結後、実際に動いてみると、アメリカやEUが「国際ルール」として公平そうなきまりを作っていても、中身は自国に有利なものを巧みに折り込んでいるということがわかった。日本だけが損をした、と言っても過言ではないような状況だった。

これで日本は学習した。以後国際ルールができる時は、きちんと自国に有利な条件を、相手を納得させながら折り込むことが必要だ、ということを。そして、「ルール作りに参加することが重要だ」ということを。ここが重要。そもそも、日本はルール作りに参加する、という意識が希薄だったのだ。再度書くが、国際ルールというものは、自ら作るものではなく、できたものを受け入れる、という感覚だった。


ウルグアイラウンドの合意後、日本の農業経済学研究者は、EUの農業政策を学ぶことに勢力を注いだ。先に書いた通り、EUの政策は日本の農業政策と親和性が高い。そして、EUの政策をベースにすれば、以後の国際交渉でも、日本に有利なルールを作ることができるからだ。

こうして生まれた政策が、中山間地域等直接支払制度であり、農家への個別所得補償である。


東京にいた頃には熱心に勉強していたEUの農政であるが、長崎に来てからはとんとご無沙汰していた。それが今回話を聞く機会ができて、非常に嬉しかった。

そして、今回の講演によると、EUの共通農業政策は、確実に進歩している。当然といえば当然だが、時代の変化に応じて、適切な政策を作るのは、ごく当たり前のことである。

翻って日本の農政はどうだろうか。上に中山間地域等直接支払制度のことを書いたが、そうした変化はごく一部。基本的には、ウルグアイラウンド締結当時から、何も変わっていない。6兆円以上も投じられたウルグアイラウンド対策費が、日本農業にほとんど変化を与えなかったのは、周知の通りである。やはり、日本は何も学習していないと言わざるを得ない。

TPP反対を叫ぶのも結構である。しかし、そうした外的変化に関係なく、日本の農業を取り巻く環境は変わっている。その変化に対応した農業政策を考えることもなく、単に現状維持を叫ぶことに、何の価値があるのだろうか。TPP云々に関係なく、現状に則した農政なり農業補助の方向を、もっと積極的に打ち出す必要があるのではないだろうか。


最後に重要なことだから、もう一度書く。

国際的なルール作りには、ルールを作る段階から参加しないと不利になる。日本ほどの大国なのであるから、国際ルールはできたものを受け入れるのではなく、ルールを作る段階から参加してしかるべきなのである。TPPに関してもそう。できてもいないルールを受け入れるかどうかで、賛成反対なんて言うのはナンセンス。まずルール作りに参加しないと始まらない。そこで自国にとって不利なルールしかできなそうなら、その時点で降りればいいことである。そこをしっかり理解しなければならない。

2011年9月21日水曜日

食農資源経済学会長崎大会に参加して(1)

9月16日から18日まで、食農資源経済学会の長崎大会が長崎市内で開催された。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~ksae/

この学会は以前は九州農業経済学会という名称で、現在も年一回九州各県を持ち回りで大会が開催されている。

私も会員なので参加した。本当は全日程参加したかったのだが、他の用事が先に入っていたこともあり、16日と17日の午前中だけの参加となった。

私は一応農業経済学が専門であるのだが、実は主要な調査地域が東北・北海道であったため、長崎の農業についてはほとんど素人である。今回、2日間(どちらも半日なので、実質1日分)しか参加できなかったが、そこでの議論を通じて、ほんの一部ではあるが、長崎の農業がわかった気がする。

まず一日目の内容から。

初日は、県内の元気な農家の方から事例報告があった。
長崎での先進的な農家の方のお話しを聞けて、非常に有意義であった。

この農家の方々の特徴として、みなさん明るい、元気がある、ということが挙げられる。
「暗い暗いと言う産業に未来はない。明るく夢を持たないとダメだ。」
というようなことを、みなさんおっしゃっていた。

まさにその通りだと思う。先行きがない、暗い、厳しい、というようなことばかり言うような産業に、未来があるはずがない。厳しさを強調するのは、「苦しいから補助を下さい」という、後ろ向きの姿勢でしかないのだ。
そして長崎の農業を牽引しているのは、今回発表されたような、明るい農家の方々なんだな、と思った。

それからもう1つ印象的だったのは、「きちんと稼げれば後継者も自然とできるんだ」というお話しだ。
これは私の持論でもある。私が東北や北海道の農村を回っていた時の印象でも、きちんと稼げている農家では、大きな後継者問題は起こっていない。後継者問題を解決する一番の方法は、きちんと稼げる経営体を作ることだ、という私の持論が、さらに裏付けられた気がした。

似たような話の繰り返しになるが、「日本の農業は競争力がないから、国の補助がないと消滅してしまう。」なんていう議論は、あまりに後ろ向きすぎる。強い経営体は、全国各地に、そして長崎にも沢山あるんだから、そんな後ろ向きの議論よりも、強い経営体を広く紹介し、それを広げていく、という方向性がより重要だと感じた。

2011年8月11日木曜日

離島航空路の再編を

長崎県の離島を結ぶ航空路は、住民の貴重な生活の足としての面と、今後増やさないといけない観光客の取り込み手段という面がある。

それを担う役割としてのORCが抱える運行上の問題といえば、次の2つであろう。

・長崎対馬線で、特定の便の乗客が集中し、予約が取りにくい状況にある。
・欠航が多い。


第一の点。もともとこの路線はANA(ANK)のジェット機が運航していたものを、ORCの経営再建のために、ORCに移譲させたものである。
(公式には、ORCの参入発表→ANKの撤退発表、という形だった気はするが。)

ANKからORCに移って、確かに1日の便数は増えたが、もともとこの路線、朝と夕方に乗客が集中する性質がある。便数が増えて1日あたりの座席数は増えても、多くの人が乗ろうと思う時間帯の便の座席数が減っては、積み残しが出るのは当然のことである。特に金曜対馬夜発の便は乗客が多く、2便体制にしても、今でも満席になることがしばしばある。

ここは考え方の問題である。確かにORCの経営問題も重要であろうが、住民の足としての交通政策を考えるべきではなかろうか。

そのためには、対馬発最終便と長崎発始発だけ、ANAのジェット機運航に変えてもらえばいい。ORCとANAのコードシェアを行っている今となっては、これはそんなに難しいことではない。

ANAからすれば、対馬発福岡行き最終便の機材を長崎行き最終便に振り替えればいいだけだ。その機体は長崎で1泊して翌日朝一で対馬へ向かう。

そのかわり、対馬発福岡行き最終便と福岡発対馬行き始発便をORC運航にすればいい。こういう機材繰りの変更をしても、コードシェアを行えば、ANAにとっての不利益はないだろう。


第二の点。

天候不良で欠航になるのは仕方がない部分もある。ところが最近多くなっているのが、機材整備のための欠航。これは、機材が古くなっていることに起因する。

他にもこれから理由を述べるが、もう今のうちから機材の更新を考えた方がいいだろう。

現在ORCが使用している機材は、かの有名なボンバルディア社のQ200というもの。これを置き換えるものとして現在製造されている機材は、ATR42しかない。

現在のQ200よりATR42の最新型ATR-600の方が燃費はいい。この燃料高の時代、経費削減という意味でも、燃費のいい機材に置き換えるのは正しい選択だろう。

ATR-600にした場合のメリットとして、必要とされる滑走路距離の短さから、滑走路が800mしかない上五島空港でも離発着できるという点がある。上五島空港をこのまま利用せずに放置するより、新機種導入で、再度活用した方がいい。今後増やさなければいけない上五島への観光客の足としても、50人前後の乗客を運べるATR42の導入メリットは高い。

そしてATR42-600は、ILSカテゴリーⅢという自動操縦装置に対応している。これを使えば、視界不良による欠航を大幅に減らすことができる。

まあ、上五島空港をILSカテゴリーⅢに対応させるには、どれだけの費用がかかるのかはわからないが、考えてみるのもいいかもしれない。

現実には、新機種導入は費用面などで難しいかもしれない。しかしそこは考えよう。単独で導入することはない。まだ日本でATR42-600を導入予定の航空会社はないが、このサイズの飛行機を運航している会社は、いつか機材更新を検討しなければならない。ここは、ORCと天草エアライン(AMX)、そして日本エアコミュータ(JAC)が共同で2機程度購入して、3社の路線で使い始めればいい。

整備などは福岡のJACで行うようにすれば、ORCもAMXも機材維持にかかるコストを削減できる。

ANAと提携しているORCがJAL系列のJACと提携するのは難しいかもしれないが、そこは何とか知恵を出し合い解決できる方法を探ろう。

2011年7月31日日曜日

観光客が夜に楽しめる仕掛けを

近年、長崎市を訪れる観光客の中で日帰り客が占める割合が高く、そういう人達にいかにして宿泊してもらうかが課題になっている。

日帰りと宿泊では、地元に対する経済効果は大きく違うので、できれば宿泊して頂きたいと考えるのは当然のことだ。

そこで、夜景観光に力を入れ始めている。夜景を目的として宿泊する人の割合が高まる効果も期待してのことだろう。

これ自体はとてもいいことだと思う。しかし、夜景を見てからでもその日のうちに福岡位までは行ける。確実に宿泊してもらうために、もう一押しできないだろうか。

長崎市では、商店街も中華街も夜8時には閉まって、観光客が夜出歩く楽しみがないと言われる。

このことに関しては、それぞれの商店の経営に関わることなので、一律に対応を迫るというのも難しいことだ。とりあえずは各商店ができるだけ夜遅くまで店を開いてもらうのを期待するしかない。

しかし、当然夜に開いている店もある。出島ワーフや、一口餃子のお店、ラーメン屋などが挙げられる。

私も多くの観光客を連れて、夜に出島ワーフや一口餃子屋さんに行ったことがある。とても好評であった。こういう場所に、市内のホテルから誘導することを考えてみてはどうだろうか。

現在、市内ホテルから稲佐山ロープウェー乗り場まで無料送迎バスを走らせている。これをもう一工夫して、出島ワーフや思案橋へも運行してはどうだろうか。

この夜の循環バスは無料でもいいが、とりあえず100円なり120円なりの運賃で走らせて、観光客以外も自由に乗れるようにして試してみるのがいいだろう。

都心部循環バス「らんらん」は既存交通機関との競争で客が増えずに撤退したが、路面電車の終電後にも走る夜の巡回バスなら需要も発掘できるだろうし、観光客に新たな夜の楽しみを提供できるのではないかと思う。

2011年3月30日水曜日

いま長崎の被爆者が福島の人に対してできること

福島の原子力発電所の事故で大変なことになっています。

言うまでもなく長崎は被爆地であり、今でもたくさんの被爆者の方が元気に生きておられます。

これまで長崎は、原爆の恐ろしさ、被曝の恐ろしさについては、世界中に発信してきました。

しかし、被爆後65年が経った今でも、被曝しても元気に生きている人がたくさんいる、ということについては、ほとんど発信していなかったと思います。

そのため、とにかく放射線は恐ろしいものだ、というイメージだけが世間に広がっている印象を受けます。

今大事なのは、放射線の恐ろしさだけを発信するのではなく、ある程度の放射線量を受けても、大きな健康被害はない、ということも伝えて、福島の人の不安感を取り除くことではないでしょうか。

長崎(そして広島)には、今、福島の原発の近くに住んでいる人が受けた、あるいはこれから受けるであろう放射線量より、遥かに多くの放射線を受け、しかも被爆後65年経っても、元気に生きている人が沢山いるのです。

この、今元気に生きている被爆者の方々が福島に出向いて、放射線の被害に対する不安を持っている人達に、「私は何シーベルトの放射線を浴びたけど、65年経っても、この通り元気です。みなさんが受ける放射線量は、私たちより遥かに少ないはずです。私は子どもの時に被曝しました。赤ちゃんの時に被曝しました。それでもこの通り元気です。みなさんも、どうぞ心配しないで下さい。」と直接語り、現地の人を勇気づけてあげることはできないでしょうか。

今大事なのは、放射線の怖さを語り福島の人を不安にさせることではなく、不安を取り除くことでしょう。マスコミの報道では、放射線による健康被害のことしか話されていません。これでは、いくら心配しなくても大丈夫だ、と言われても、誰でも心配になります。この不安感を取り除くことができるのは、長崎、そして広島の被爆者しかいないのではないでしょうか。

本を出しました

本を出しました。




よろしければ、買って下さい。
売れないと、手出しが多くなります(苦笑)。

2011年3月5日土曜日

子ども手当ての所得制限には理論がない

子ども手当ての是非はさておき、子ども手当てに所得制限をする、というのは、政策の意義という点で考えると、筋が通らない。

理由を2つの点から述べる。


まず、「高所得者は生活に余裕があるから、子ども手当ては要らない。」という意見に対して。

そもそも「収入が高い」ことと「子育てにお金がかかる」ことは、直接関係がない。

収入が高い人は、それだけ沢山の税金を払っている。所得税は累進課税だから、収入の高い人ほど課税される率は高い。

「生活に余裕がある」ことに対して、「高い税率」という点で負担を大きくされているのだから、さらに「子ども手当ての不支給」という二重の負担をかける必然性があるのかは、私には疑問である。沢山税金を払っているのだから、そのうちの一部が子ども手当てとして戻ることに、そこまで文句を言う必要があるのだろうか。


次に、「子どものいない高所得者」と「子どものいる高所得者」との間の関係から考える。

政策というのは、何らかの意図を持っているものだ。政策によって社会がある方向に誘導されないのであれば、その政策を打つ意味がない。

高所得者に子ども手当てを支給しないということであれば、「高所得者は子どもを作らなくてもいい」という政策意図があることになる。意図はなくても、そういう政策を実行すれば、社会はそう動く。

私がもっと若い頃・バブル時代には、DINKSという言葉が流行った。共働きで子どもがいない。稼ぎも多くて、その稼ぎを夫婦がぜいたくに使っていい暮らしをする。いかにもバブリーな発想で、最近はあまり聞かなくなったが、まあそういう人も都会には沢山いる。

私もかつては東京でDINKSな生活をしていた。それを望んだ訳ではなく、たまたまそうなった。夫婦の稼ぎが増えてくると、自然と生活は贅沢になっていく。一度贅沢になった生活水準を落とすのには、かなりの強い意思がいる。正直言って、子育てにお金と時間を費やしたいという気持ちには、全くなれなかった。逆にいえば、そんな状況にあって子どもを育てている人には、何かメリットを与えてあげた方がいいと思ったし、よほどのメリットがないと子どもなんて作る気にならないよな、とも思った。

現実として、平均所得が最も高い東京都の出生率は全国一低く、平均所得がビリ争いの長崎県の出生率は全国トップクラスの高さである。

何も考えないと、「だから長崎の低所得者夫婦には子ども手当てを支給して、東京の高所得者夫婦には支給しなくていいんだ」となるかもしれない。でもそれでいいのか。もう1つ先をいえば、これは「子どもは長崎の低所得者が作るから、東京の高所得者は作らなくてもいいよ」という方向に誘導する政策になってしまうのだ。


やはり、「子どもはみんなでつくりましょう」という政策の方がいいのではないだろうか。そのためには、「子ども手当てに所得制限をかける」というのは、筋の通らない政策なのだ。

2011年2月25日金曜日

博多大丸長崎店の閉店理由の本質を見誤るな

博多大丸長崎店の閉店が発表されてしばらく経つが、今後のまちづくりを考える際、閉店理由は何だったのかについての分析を見誤ると、大きな戦略ミスを起こす可能性がある。

大丸長崎店の閉店に関して、「夢彩都やアミュとの競争に浜の町が勝てなくなった」という理由を持ち出すのは、いかにも世間受けがしやすい。しかし、それが本質ではない。

大丸側も言っているが、「敷地が狭い」というのも理由の1つで、今の百貨店業界を考えた場合、これがとても大きな理由であるといえる。

最近の百貨店業界は、とにかく増床して品揃えを良くしていくという戦略を取っている。大丸も全国規模で勝負している百貨店であり、この戦略だ。売場面積は最低5万平米必要だと言われているが、大丸長崎店の場合、1万平米にも満たなかった。これでは、大丸として長崎店の将来を展望するのは不可能である。

今話題の博多阪急も売場面積は4万2千平米で5万平米に満たない。だから、天神の百貨店との競争に勝てないのではないか、という意見もある。それだけ、今の百貨店業界において、売場面積というのは重要なのだ。

話は戻るが、浜の町はもう商店街としての集客力を失っているのであろうか。答えは否、である。

もし大丸側が、浜の町に魅力がないと考えて閉店するのであれば、土地を売却するであろう。しかし、今の所、土地は大丸が持ったまま、テナントビルなどの形態で商業施設として運営するつもりだという。土地を売ったり住宅地にしたりするのではなく、商業施設にする予定があるというだけで、大丸という全国規模の企業からみて、長崎の浜の町は商業地としての魅力を失っていない、と判断している証になる。

これは単に、大丸が小さい面積での百貨店運営のノウハウを持っていないというだけだ。大丸だけではない。日本の大手百貨店は、どこもそのノウハウを持たない。

この視点で浜の町を考えると、浜屋だって安泰ではないといえる。やはり売場面積が小さい。これでは福岡の百貨店との競争には勝てない。しかし、今の浜の町の状況から考えて、浜屋だけの力で売場面積を広げようというのは、もう無理である。

浜の町からデパートをなくしたくないのなら、残った浜屋だけでなく、商店街全体で考えないといけない問題なのである。

2011年2月21日月曜日

鯨離れの真相

近年、若者の鯨離れが進んでいるという言い方がある。

5年ほど前、長崎で「長崎くじら食文化を守る会」というものが発足した。鯨の食文化を広めようというような趣旨だったと思う。そこには、若者が鯨を食べなくなっているからという理由もあっただろう。

では、なぜ若者は鯨を食べなくなったのか。

理由は簡単。高いから。

街中で売っている鯨カツは、一枚300円から400円する。それに比べてコンビニで売っている鶏の唐揚げは、100円台だ。

高校生が学校帰りにコンビニの唐揚げを食べている姿は普通に目にする。しかし、鯨カツを食べている姿はなかなか見かけない。理由は普通に考えたら誰にでもわかるだろう。鯨カツは高すぎるのである。

「長崎くじら食文化を守る会」を主催したながさき地域政策研究所(シンクながさき)の、菊森淳文常務理事が会の発足の時期に、「鯨の在庫が詰み上がっていて、来年には価格が暴落する。」とおっしゃっていた。そして、「鯨の消費を増やすために、何か手を打たなければいけない。」とも言われた。

それに対して私は、「値段が下がれば売れるようになりますよ。」と答えた。長崎で生まれ育った私には、値段さえ下がれば、長崎の若者は鯨を食べるという確信があったからだ。

さて実際はどうなったのか。あれから5年。確かに鯨肉の在庫は増えているようだが、鯨カツの値段は全く変わっていない。その辺の理由には政治的なものが相当からんでいるのであろうが、菊森氏がおっしゃったように、鯨肉の価格が暴落するということには、なっていない。

長崎の年配の人はみな口を揃えて言う。「昔は鯨は安かったもんね」。その言葉の裏側には、「鯨は安かったら食べるけど、高い金を出してまでは食べようと思わない。」ということが読み取れる。

経済学的には、在庫が増えると価格が下がって消費が伸びるというのは当たり前のことなのだが、実際には全くそうなっていない。

鯨の消費を増やすにはどうしたらいいか、なんて色々考える必要は全くない。値段を下げればいいだけの話である。鯨カツが鶏の唐揚げと同じ位の値段でコンビニで売られるようになれば、鯨肉の消費は爆発的に伸びると断言したい。

2011年2月8日火曜日

日本フェイスブック学会

昨日、武雄市で行われた「facebook講習会」に参加してきた。

武雄市の樋渡市長が主催したものだが、古川佐賀県知事も受講生として参加された。

そしてその場で、日本facebook学会の設立が発表された。

この時の雰囲気を見て、私以外にも長崎県からの参加者がいたのだが、私も含めて、そうした長崎県民は、「佐賀はうらやましいな」と感じてしまった。


あとは、個人的には、この2人を見て、世間から見た「東大卒業生」のイメージが変わってくれたら、嬉しいかな、と。

http://www.facebook.com/fsj2011


2011年1月25日火曜日

再開発地の売場面積規制は誰のため?

長崎駅周辺土地区画整理事業で生まれる再開発地において、商業地の売場面積を地元商店街に配慮して2万平米に規制しようという方向で議論が進んでいるようだ。

地元商店街というのはもちろん浜の町のことなのであろうが、浜の町に配慮することが、市民にとってメリットになるのであろうか。税金を投入する事業であるのだから、より多くの市民の要求に答えるべきなのは、言うまでもない。

今の浜の町に魅力がないのは、既存のデパートに魅力がないからだ、という声を耳にする。私自身もそう思う。今の時代、デパートの規模は全国的にみると売場面積5万平米位が当たり前である。ところが、浜の町は浜屋と大丸を合わせても3万平米に満たない。

浜の町に配慮して駅前の商業地面積を規制することで、果たして市民のためになるのだろうか。

特にデパートの場合、競争相手は長崎にあるのではなく福岡にある。仮に駅前の商業地を規制した所で、浜の町の競争相手を潰すことにはならない。依然福岡という強力な競争相手は存在する。

現状の浜屋を維持した所で、福岡のデパートとの競争力がないのは明白である。駅前の商業地を規制しても、福岡との競争に耐えられず、大丸と同様、浜屋も潰れる可能性だって否定できない。

そして浜屋が潰れると、長崎からデパートはなくなり(玉屋はすでにデパートとは呼びにくい規模に縮小している)、いよいよ福岡への商業流出が進むだろう。

そうなる前に、駅前に5万平米クラスのデパートを誘致することが、市民のためになるのではないだろうか。

駅前の再開発地は、少なくとも5万平米のデパート、1万平米の家電量販店(ヨドバシカメラなど)を誘致する必要がある。それは市民が欲する商業施設である。これだけで6万平米。規制として検討されている2万平米の3倍である。

市民の要求だけではない。中国人のクルーズ船客の欲求に答えることも考えるべきだろう。中国からの買物クルーズ客は、あっという間に福岡と鹿児島に取られてしまった。それは当然のことで、長崎の商業施設が福岡や鹿児島と競争できるはずがない。これが駅前の再開発地に上述したような商業施設ができれば、戦う土台が初めて出来る。

もし浜の町の要求に応えて駅前の商業施設の売場面積規制をかけるのであれば、交換条件として、浜の町に5万平米クラスのデパートを作ることを提示すべきだろう。浜の町も自らが生き残るためには、その程度の努力は必要である。

大丸長崎店閉店後の跡地利用

博多大丸長崎店が7月末で閉店されると発表された。

私は、大丸長崎店が閉店するのは時間の問題だと思っていた。

近年のデパートは、とにかく増床することで生き残りを図っている。終わりなき増床競争に付いていけないデパートは、どんなに歴史のある所でも閉店する、というのが、全国的な流れになっている。例えば京都の阪急河原町はその典型だといえよう。

長崎のデパート業界をみると、大丸だけでなく浜屋も増床競争には走っていない。そうして小さい所で均衡していたのだが、規模が小さく魅力のないデパートが集客するのに苦戦しているのはご存知の通り。福岡の大規模デパートに顧客は流れている。

大丸長崎店がこれまで閉店しなかったのは、自社ビルで家賃がかからないからだと私は思っていた。それでも、申し訳ないが、あの売場面積では正直デパートとしての魅力はない。冒頭述べたように、いずれは閉店すると考えざるを得なかった。

今の時代にデパートとして競争力を持つためには、最低でも3万平米、できれば5万平米の売場面積が必要だろう。熊本も大分も鹿児島も、地場のデパートは3万平米という面積はクリアしている。ところが長崎は、浜屋でも2万平米以下、大丸は1万平米以下である。両方合わせても2万5千平米で3万平米に満たない。

私は、長崎のデパートが福岡に負けない魅力を持つには、浜屋が大丸の敷地まで店舗を広げるしかないと思っていた。それでも狭い位だ。できれば、浜せんビルまで全部浜屋の売場にしたい位だ。そうでもしないと、長崎から福岡への商業流出は止められないだろう。しかし、大丸が潰れない限りは無理だろうし、まだ何とか大丸も持つだろうから、難しいな、と感じていた。

ところが今回の大丸閉店のニュース。跡地利用は未定だという話である。私は裏事情は何も知らないが、まあ閉店に踏み切ったということは、何か跡地を利用する話がどこかから何かあるのではないかとは思う。

しかしどうだろう。長崎の商業振興のためには、大丸跡地に浜屋が増床するしかない。ここは官民一体となって、浜屋に増床させるように行動すべきではないだろうか。

2011年1月23日日曜日

長崎駅再開発事業の問題点

長崎駅周辺区画整理事業には、いろいろな問題点がある。

私が思う最大の問題点は、この事業を行うと、長崎駅に貨物列車の乗り入れが不可能になることだ。

長崎市の将来を考える際、長崎と上海を結ぶ航路は非常に重要になると思われる。

そして、航路というのは、人を運ぶだけではなく、貨物も運ぶ。さらに、人よりむしろ貨物の方が重要である。

長崎という中国に近い立地を考えると、全国各地から貨物列車で長崎まで荷物を運び、そこから船に積み替えて中国へ、というルートには優位性がある。当然、長崎から上海へのフェリーは、長崎駅裏に発着することが必須である。

ところが区画整理事業を行い長崎駅が高架化され、鉄道貨物の用地が他用途向けに整備されると、貨物列車が長崎駅まで入れなくなり、上に書いたような貨物の大動脈になり得るルートが消滅してしまう。

ご存知の人は少ないと思うが、今現在長崎駅に貨物列車は来ていない。長崎駅裏にある貨物のコンテナは、佐賀までトラックで運ばれている。

しかし、今貨物列車が走っていないからといって、将来も走らないと決めつけるのはどうだろうか。ちょうど今、上海への貨客フェリーが就航しようとしている。この時期に、貨物列車の復活の芽を完全に絶ち切る区画整理事業は、見直すべきである。