2019年10月6日日曜日

市職員は職員である前に市民であれ

今日、『令和時代の「駐車場-駐車場が街を変える-』というイベントに参加した。

駐車場云々の話よりは、元アメリカ・ポートランド市職員の山崎満広さんが登壇されることに、非常に興味があった。

ポートランドという都市は、路面電車界隈では有名な所である。一度は廃止した路面電車を、街づくりの中核として復活させ、都市再生を果たした。LRTの先進例としては、アメリカのポートランドかフランスのストラスブールか、と言われる都市である。そういう市の元職員が来られる、ということで、とても興味があった。

本来ならシェアリングエコノミーとそれを支えるIT技術が今日の話題の中心になるはずだった。それを私が発言したばかりに、LRTとまちづくりの方向にディスカッションの方向をねじまげてしまった。その意味では申し訳なかったが、聴衆の中に県・市の職員や商店街の方々もいたので、それはそれで意義ある議論ができたのだろうと、勝手に思っている。


会が終わった後にも山崎さんとお話ししたが、日本とアメリカの役所の大きな違いが、アメリカ(ポートランド)の職員は、職員である前に市民であり、市民として暮らしやすい街はどんな形か、ということを第一に考えている、ということだ。日本は、市民と職員の間に壁がある。職員は職員としての立場からしか話をしない。

私もこのことは本当に日本に変わって欲しいと思う。去年さんざん市に対して訴えてきた駅周辺事業も、駅から電停まであれだけ歩かされるというのは、市職員だって市民として不便でしょ。じゃ何で市民にとって便利なものを作ろうとしないんのだろうか。

もう、何を言っても無駄だということがわかったから、私はこのことから手を引くことにした。

山崎さんも、「行く所まで行かないと、わからないんでしょうね」とおっしゃった。私は、もう長崎市は行く所まで行きかけていると思っている。来年3月になれば、不便な長崎駅舎がオープンする。さすがにその時には、市民も市職員も、これではいけないとわかるのではないか、と思っている。但し、いけないとわかっても、変えようとはしないんだろうな、というのが、正直な気持ちである。

私も一市民として、変わらない市民の意識を変えるよう動くよりは、早く長崎から出て行く方が精神的に遥かに楽だと思っている。こんな状況じゃ、長崎市の人口流出が止まるはずは、ない。