2011年1月25日火曜日

再開発地の売場面積規制は誰のため?

長崎駅周辺土地区画整理事業で生まれる再開発地において、商業地の売場面積を地元商店街に配慮して2万平米に規制しようという方向で議論が進んでいるようだ。

地元商店街というのはもちろん浜の町のことなのであろうが、浜の町に配慮することが、市民にとってメリットになるのであろうか。税金を投入する事業であるのだから、より多くの市民の要求に答えるべきなのは、言うまでもない。

今の浜の町に魅力がないのは、既存のデパートに魅力がないからだ、という声を耳にする。私自身もそう思う。今の時代、デパートの規模は全国的にみると売場面積5万平米位が当たり前である。ところが、浜の町は浜屋と大丸を合わせても3万平米に満たない。

浜の町に配慮して駅前の商業地面積を規制することで、果たして市民のためになるのだろうか。

特にデパートの場合、競争相手は長崎にあるのではなく福岡にある。仮に駅前の商業地を規制した所で、浜の町の競争相手を潰すことにはならない。依然福岡という強力な競争相手は存在する。

現状の浜屋を維持した所で、福岡のデパートとの競争力がないのは明白である。駅前の商業地を規制しても、福岡との競争に耐えられず、大丸と同様、浜屋も潰れる可能性だって否定できない。

そして浜屋が潰れると、長崎からデパートはなくなり(玉屋はすでにデパートとは呼びにくい規模に縮小している)、いよいよ福岡への商業流出が進むだろう。

そうなる前に、駅前に5万平米クラスのデパートを誘致することが、市民のためになるのではないだろうか。

駅前の再開発地は、少なくとも5万平米のデパート、1万平米の家電量販店(ヨドバシカメラなど)を誘致する必要がある。それは市民が欲する商業施設である。これだけで6万平米。規制として検討されている2万平米の3倍である。

市民の要求だけではない。中国人のクルーズ船客の欲求に答えることも考えるべきだろう。中国からの買物クルーズ客は、あっという間に福岡と鹿児島に取られてしまった。それは当然のことで、長崎の商業施設が福岡や鹿児島と競争できるはずがない。これが駅前の再開発地に上述したような商業施設ができれば、戦う土台が初めて出来る。

もし浜の町の要求に応えて駅前の商業施設の売場面積規制をかけるのであれば、交換条件として、浜の町に5万平米クラスのデパートを作ることを提示すべきだろう。浜の町も自らが生き残るためには、その程度の努力は必要である。

大丸長崎店閉店後の跡地利用

博多大丸長崎店が7月末で閉店されると発表された。

私は、大丸長崎店が閉店するのは時間の問題だと思っていた。

近年のデパートは、とにかく増床することで生き残りを図っている。終わりなき増床競争に付いていけないデパートは、どんなに歴史のある所でも閉店する、というのが、全国的な流れになっている。例えば京都の阪急河原町はその典型だといえよう。

長崎のデパート業界をみると、大丸だけでなく浜屋も増床競争には走っていない。そうして小さい所で均衡していたのだが、規模が小さく魅力のないデパートが集客するのに苦戦しているのはご存知の通り。福岡の大規模デパートに顧客は流れている。

大丸長崎店がこれまで閉店しなかったのは、自社ビルで家賃がかからないからだと私は思っていた。それでも、申し訳ないが、あの売場面積では正直デパートとしての魅力はない。冒頭述べたように、いずれは閉店すると考えざるを得なかった。

今の時代にデパートとして競争力を持つためには、最低でも3万平米、できれば5万平米の売場面積が必要だろう。熊本も大分も鹿児島も、地場のデパートは3万平米という面積はクリアしている。ところが長崎は、浜屋でも2万平米以下、大丸は1万平米以下である。両方合わせても2万5千平米で3万平米に満たない。

私は、長崎のデパートが福岡に負けない魅力を持つには、浜屋が大丸の敷地まで店舗を広げるしかないと思っていた。それでも狭い位だ。できれば、浜せんビルまで全部浜屋の売場にしたい位だ。そうでもしないと、長崎から福岡への商業流出は止められないだろう。しかし、大丸が潰れない限りは無理だろうし、まだ何とか大丸も持つだろうから、難しいな、と感じていた。

ところが今回の大丸閉店のニュース。跡地利用は未定だという話である。私は裏事情は何も知らないが、まあ閉店に踏み切ったということは、何か跡地を利用する話がどこかから何かあるのではないかとは思う。

しかしどうだろう。長崎の商業振興のためには、大丸跡地に浜屋が増床するしかない。ここは官民一体となって、浜屋に増床させるように行動すべきではないだろうか。

2011年1月23日日曜日

長崎駅再開発事業の問題点

長崎駅周辺区画整理事業には、いろいろな問題点がある。

私が思う最大の問題点は、この事業を行うと、長崎駅に貨物列車の乗り入れが不可能になることだ。

長崎市の将来を考える際、長崎と上海を結ぶ航路は非常に重要になると思われる。

そして、航路というのは、人を運ぶだけではなく、貨物も運ぶ。さらに、人よりむしろ貨物の方が重要である。

長崎という中国に近い立地を考えると、全国各地から貨物列車で長崎まで荷物を運び、そこから船に積み替えて中国へ、というルートには優位性がある。当然、長崎から上海へのフェリーは、長崎駅裏に発着することが必須である。

ところが区画整理事業を行い長崎駅が高架化され、鉄道貨物の用地が他用途向けに整備されると、貨物列車が長崎駅まで入れなくなり、上に書いたような貨物の大動脈になり得るルートが消滅してしまう。

ご存知の人は少ないと思うが、今現在長崎駅に貨物列車は来ていない。長崎駅裏にある貨物のコンテナは、佐賀までトラックで運ばれている。

しかし、今貨物列車が走っていないからといって、将来も走らないと決めつけるのはどうだろうか。ちょうど今、上海への貨客フェリーが就航しようとしている。この時期に、貨物列車の復活の芽を完全に絶ち切る区画整理事業は、見直すべきである。