2018年1月29日月曜日

インバウンド観光客の増加には新幹線と定期航空路が不可欠

先週仕事で香港に行ってきた。
今日はその時の話題を書く。

香港人の通訳の人が、先日九州に旅行に来た、という話をした。どこへ行ったのか聞くと、福岡と熊本と言う。

そして熊本では、熊本城はさておき、「くまモンスクエア」に来て、くまモンに会ったと言って写真まで見せてもらった。

くまモンスクエアにいつもくまモンがいる訳ではない。HPにくまもんがいる時間を公開しているので、それを見て、くまモンがいる時間に合わせてくまモンスクエアに行った、ということである。

そして長崎には来たことがあるのか聞いたら、無いという。香港人で長崎に来る人は少ないとも言っていた。理由は、新幹線が走っていないことと、直通定期航空路がないことである。

香港と鹿児島との間には定期航空路がある。そのため、九州新幹線を利用して、福岡から入国し鹿児島から帰国する、などのルートで旅する人が多いとのことである。

このことは以前からわかっているのだが、果たしてそれを長崎の人がどれだけ理解しているのであろうか。

もちろん香港からの旅行者を増やすためだけに新幹線を作るべきだ、というのは言い過ぎである。

しかし、「自分には必要がないから」という理由で新幹線建設に反対する、というのはいかがなものかと、常々私は思っている。

昨日書いた新長崎市庁舎の話にも共通するが、「自分が必要だと思うかどうか」だけを中心に物事を判断するという姿勢は、もうやめて欲しいのだ。昨日の繰り返しになるが、長崎の人がどうするかを中心に長崎のことを組み立てても、ジリ貧になるのは明白である。今は他所の人がどう思うのか、から考えるようにしなければならない状況なのだ。

再度繰り返す。「自分には必要ないから要らない」という発想は、もうやめよう。




香港からの帰りの飛行機で航路を撮ったもの。香港発福岡行きの飛行機は、長崎市、長崎空港、ハウステンボスの上空を通って、福岡空港に向かう。

いつも思うんだけど、この飛行機が長崎空港に着陸してくれれば、どれだけ楽か。そう、私が楽をしたいから、香港と長崎を結ぶ定期航空路が欲しいのである。

2018年1月28日日曜日

長崎市役所新庁舎は高層化が必要

長崎市役所の新庁舎が、「高すぎる」という批判が市民にあるということで、20階建ての予定が19階建てに変更されるという。

長崎市新庁舎、19階建てに変更 市見直し方針


これを見た人は、「その1階分でどれだけ違うのか」、と感じるのではないだろうか。また、20階建ての高層棟を19階建てに変更する一方、4階建ての低層棟を5階建てにするらしい。

じゃ、結局一緒じゃないのか、と思うし、容積が変わらないのであれば、高層棟を低くするメリットは何なのか、という疑問も出てくる。ここは市がきちんと説明すべきだし、高層化に反対する市民も、何で高層棟がいけないのか、という意見を出して欲しい。少なくとも私は、容積を減らした上であっても高層棟を作るのが悪いという理由は、思いつかない。

私は最初から市役所庁舎は高層でないといけないと主張している。それは、高層化し最上階に展望室ができれば、海まで見通せるからだ。周囲のマンションが13階建てになっていて、しかも新市庁舎は崖の下にある。台地の上の高層建築物より高くするには、20階位の高さは必要だろう。もちろん、19階でも構わない。

どれ位の高さならどれだけ見通せるか、というのは、今の時代ならドローンを上げれば、すぐわかることだ。ドローンで写真を撮ってみて、何階建ての高さならこの景色になるという例を提示して、そこから議論をすればいい。


少なくとも公会堂右側のマンションより高くするためには、20階位必要なんじゃないかな、と思う。

私がなぜ高層化にこだわるかと言えば、高層化して最上階に展望室を作れば、新市庁舎に人の流れを作ることができるからだ。

現在、出島から眼鏡橋までは観光客の流れができている。公会堂跡地に高層化した市庁舎ができれば、そこまでは流れを呼び込むことができる。展望室から博物館の全容を見ることができれば、さらに市庁舎から博物館、諏訪神社方面へと観光客の流れを生み出せる可能性がある。

人の流れを作ることで新たな商売が生まれる。眼鏡橋周辺の中島川沿いにも、沿岸を公園化したことで人の流れができ、新しいお店が次々とできている。


長崎の人は、どうしてこういう将来に向けた投資的な発想ができないのかと、本当に残念に思っている。現状維持を訴えるだけでは、ジリ貧になるのは必然であるし、実際にジリ貧になっている。県庁舎移転反対運動にしてもそうだが、県庁舎を移転して跡地を公園にするなどして観光客の流れを作った方が、将来の可能性は格段に広がる。長崎の人口減少が必然になっている状況下で、将来の商売相手を内に求めるのではなく外に求めないといけないのは、当然のことだと思えないのだろうか。

幸い、長崎は観光地としての魅力は高い。国内からの観光客はジリ貧になることが避けられないにせよ、海外からの観光客はどんどん増えている。私の家は眼鏡橋のすぐそばだが、眼鏡橋周辺にいる個人観光客は、日本人より中国語を話している人(多分台湾人。クルーズ船で来る中国人以外の個人旅行客である。)の方が遥かに多い。こういうインバウンド観光客は、新市庁舎に展望台ができれば、そこまでは回遊することが見込まれる。魅力ある観光スポットを増やすことが、長崎全体の魅力を高めることにつながるのだ。

最初に出したYahooニュースのコメント欄を見ても(リンク先がすでに消えているかもしれませんが)、高層化した方がいいという意見の方が、低層化しろ、という意見より強い。多分、高層化しろという意見が他所の人で、低層化すべきという意見が地元の人主体じゃないかと感じる。

長崎の人は自分の狭い範囲の意見だけでなく、もっと他所からどう見られているのか、ということまで考えた方がいいと思う。長崎はどの程度魅力的に見えるのか、冷静に考えて欲しい。

2018年1月19日金曜日

壱岐、上五島、小値賀空港へのJAC就航を検討しよう

以前、離島航空路についての記事を書いたことがある。


この時も機材の老朽化に伴う欠航の多さを指摘したが、それから6年半が経ち、いよいよORCの後継機について真剣に考えないといけない時期に来ている。

今日も、機材整備に伴う大量の欠航が発表されたことが報道された。


なぜこういう事態になっているかと言えば、壱岐路線の後継機はATR42しか考えられないのだが、ORCが整備を委託するANAグループではATRを導入する予定がなく、整備をANAに委託できないため、ORCはATRを導入できないのだ。

前回のブログを書いた後に、JAL系列ではATR42の導入が進んだ。もしORCがATRを導入すれば、JALに整備を依頼すればいいのだが、なかなかそうも行かないようで、半年ほど前にJAL/ANAの系列を超えた地域航空会社の設立などの案が国土交通省から発表された。


この内容は、私にはORCの処理に困ったANAが、ANAの面子を潰さずにORCの面倒をJALに見させるための策を、政治力を使って国土交通省に言わせた、としか思えない。

JAL系列ではATR42の導入が進み、系列各社間で機材の融通を行う制度設計もできているので、現状で何ら困っていない。困っているのはORCだけなのだ。

さらに、ORCでは後継機種としてQ400を導入することが決まっていて、何と現在、長崎とは全く関係のない福岡宮崎便を、ORCがANAとのコードシェア便として、見た目はANAのQ400で運航している。


今後ORCがどうするかと言えば、先にリンクを張った国土交通省の地域航空会社再編案がうまく行かない限り、現行機はQ400に置き換え、ATR42の導入はないだろう。


もともと対馬と五島路線は、ANA(子会社のエアーニッポン)により運航されていた路線だ。Q400の座席数を埋めるだけの旅客数は十分期待できる。特に長崎対馬線は、現行機では席が少なすぎて、週末は満席になることが常態化している。Q400への大型化は、むしろ好都合である。

困るのが壱岐空港路線だ。Q400では大きすぎて採算が取れないし、滑走路の長さも足りないという話も出ている。となると、県は多分、上五島と小値賀が機材の都合で廃止になったのと同様に、壱岐便も廃止にするつもりではないだろうか。

何とかATR42-600Sを導入できれば壱岐路線の廃止も避けられるし、同機は800m滑走路の離着陸も可能なので、現在路線がない上五島や小値賀便も復活できる。教会群の世界遺産登録を控え、上五島や小値賀への定期航空路は、是非とも開設しておくべきだ。

ATRを導入するには、路線をJACに運航してもらうのが一番である。JACは鹿児島県の奄美諸島の自治体が出資している会社ではあるが、鹿児島の離島路線だけを運航している訳ではない。例えば兵庫県の但馬空港便もJACが運航している。

但馬便に関しては、兵庫県が機材を購入するなどの措置を取ることで、JACの運航を可能にしている。この路線も後継機の導入が検討されているが、次回も兵庫県がATR42を購入する方向だ。


長崎でも同じように、ATR42を県の予算で購入する枠組みを作って、それをJACに運航してもらうようにすれば、問題は解決する。


長崎の離島路線をJACが運航することは、他にもメリットが生まれる。

1つは福岡空港拠点のダイヤ編成が組めることである。

上五島や小値賀へは、長崎空港からより福岡空港からの路線のほうが大事である。長崎から上五島や小値賀へ飛ばしても、あまり利用客は見込めない。

壱岐にしても、福岡から壱岐に飛んでそこから長崎へ往復するダイヤにすればよい。こうすることで福岡壱岐便を復活させることができる。

もう1つは、いわゆるJALの「修行僧」が乗ることを期待できることだ。

航空会社は乗客の利用度によってステイタスを付与し、自社への囲い込みを行っている。高いステイタスを得るを目的とし、飛行機に何往復も搭乗する人のことを「修行僧」と呼んでいる。

ANAの場合は、ステイタスの基準は乗車距離のみであるのに対し、JALは搭乗回数も含まれる。そのため、鹿児島や沖縄の離島路線、福岡宮崎便、但馬便などは、沢山の「修行僧」が1日に何往復も繰り返し搭乗していて、搭乗率のかさ上げに貢献している。

前述した国交省の地域航空会社再編案でも、例えばORCがANA、JALの両社とコードシェアすることにより、JALの修行僧もORCに搭乗すれば、ORCの搭乗率向上が期待できるという話も出ていた。


多分、このまま何もしないと、壱岐空港への定期航空便は廃止されることになる。壱岐選出の県議会議員さん、私の案を関係機関に積極的に働き掛けないと、他に手はないですよ。早くしないと、時間切れで終わりになります。

2018年1月12日金曜日

長崎駅周辺土地区画整理事業は大丈夫なの?

まず最初に報告事項から。

今までこのブログで好き勝手に書いているだけだったが、今後は「フォーカス長崎」の一員として、まずは長崎駅周辺事業について関わっていくことになったので、お知らせしておきたい。

まずその最初の行動として、駅前電停への平面横断がほんとうに不可能なのかを、先日県に問い合わせに行って来た。長崎市が「県警がダメだというからあきらめた。策はない。」というので、本当に策がないのか、直接聞きたかったからだ。

この記事を参照して頂きたい。リンク先が消えるかもしれないので、適宜引用する。

断念したようにも聞こえるが、市はいま、駅前の交通量を分散させる方策をひねりだそうと懸命になっている。』

と記事には書いてあるが、路面電車の駅舎引き込み断念の経緯などをふまえると、本当に市が方策をひねりだそうと懸命になっているのか、申し訳ないが信じられないのだ。

県議の方を通じて県警に面談の手配をお願いすると、県警だけでなく、県の担当部署の方々も同席して頂けることになり、市議、県議同席の中、結果としてかなり有意義な会合を持つことができた。

話の中身は相手の立場もあるので、私にしては珍しく忖度して控えめに書くが、結論から言えば、電停への平面横断も含めて、まだ策はあるし、他にも考えるべきことは多い、ということになる。

また、県と話をする中で、今さらながら事業の進め方が見えて来た。こうした事業執行については私も素人なので、よく知らなかったというのが実情である。

たとえば駅前電停の場所は国道であり県が管轄する範囲なのだが、今回の区画整理事業については、この県管轄の範囲まで市が計画を立てて、それを見てから県として意見を言う、という流れになる。ところが、県からすると、市がなかなか全体像を見せないから、意見の言いようがない、という状況なのだそうである。

例えば駅前電停に横断歩道を作る、といった話でも、駅周辺の交通をどう流すのか、という計画を見せてもらえないと、判断しようがない、ということだ。現状だと南から北の流れは、駅に入らず北上する車と駅に入る車が駅南側の交差点で分散するが、駅に入る車が全て電停の北側から左折するようになると、今より電停横の交通量は増えるので、そこをどう考えるのかを示してもらわないと、具体的な話はできない、ということである。

今は駅の北側と南側の交差点で、駅に入る車と出る車が分散しているけど、両方が北側の交差点に集中する形になれば、果たして交通量が捌けるのか心配しているが、その辺の計画を市が示してくれないから、県はまだなにも意見を言えない状況のようだ。

これ以外でも、区画整理地域内での道路について不安に思われていることはいくつかあるようだった。私なりに判断すると、こうした不安点に関する意見は、県職員としての立場では、越権行為になるので市には言えない。しかし、まちづくりの専門家として、個人の意見として気になるということは、多々ある、とおっしゃっているように感じた。このあたりは、あくまで私がそう感じた、ということではある。

確かに、これほどの大規模な区画整理事業となると、市職員より県職員の方がノウハウもあるだろう。しかし、市が事業主体である以上は、相談に来られない限り県として意見を出せないようだ。

長崎の街の姿を変える、これだけの大掛かりな事業にしては、市の計画の立て方は、ちょっと内にこもりすぎているんじゃないか、というのが、県との話し合いを持った後の私の印象だ。もう少しいろんな人の「個人としての」意見を集めるやり方に変えないと、完成してから大変なことになるんじゃないのか、というのが、私の率直な気持ちである。