2019年6月25日火曜日

長崎グランドホテル跡地の開発は福岡銀行主導で行うべき

長崎では勘違いしている人が多いが、商業地域の開発は民間でやることであって、行政がやるものではない。

新大工町の再開発が本番に入ってきて、そろそろ旧長崎玉屋のビルが取り壊される感じになってきた。

ここは森ビルが開発に関与している。長崎では知っている人も少ないようだが、森ビルは「六本木ヒルズ」の開発を行った会社だ。「六本木ヒルズ」だけなら長崎でも有名だろうが、そこを森ビルがどう開発したかを知る人は少ない。

「六本木ヒルズ」は、地権者400件、借地人300件を巻き込む広域の開発だった。ビルを1棟建てただけ、なんて話ではない。これだけの数の地権者を、民間の森ビルが説得してまとめて、開発したのである。役所が調整したのではない。

新大工町も基本的には同じやり方だ。玉屋が一番大きな地権者だが、周囲の地権者も入って、もともとの玉屋の敷地より広い範囲の再開発が行われている。

玉屋の周囲の地権者にすれば、申し訳ないがこのまま商売を続けていても先がないと思っていた所に、森ビル主導の再開発事業があれば、それに乗った方が得だという考えになるのは、自然なことだろう。


それに対して浜の町商店街はどうなのか。私が書くと悪口しか出ないので手短にするが、役所に何とかしてと言うだけで、自分達でどうにかしようという話に持っていかないのは、いかがなものか。やってはいるつもりかもしれないが、具体的な成果として現れなければ、何もやってないと思われても仕方がない。私は、目に見える成果が出ないので、何もやっていないと思っている。

大丸が撤退して、大丸が借りていた浜せんビルが半分に切られてしまったのには、あきれて物も言えない。過去にブログで書いたが、大丸が撤退した最大の理由は敷地面積が小さすぎたことだ。中心商店街に魅力あるテナントを呼ぶ(残す)には、広い売り場面積を用意しないといけないのに、この期に及んで土地の細分化を許すとは、商店街の人間は何を考えているのか。これは行政が口出しする問題ではない。商店街のそれぞれの地権者が、自ら考えなければいけないことだ。組織を作ればいいということではない。だいたい、「最後の賭け」なんて言うことが間違っている。最低限やらないといけないことで、賭けでも何でもない。

確かに大阪の黒門市場のように、小さい店が並ぶ商店街がインバウンド客で繁盛する、という状況は、ある。しかし、浜の町商店街がそれを望んでいるのか。ドラッグストアと八百屋ばかりになって嫌だ、という話はよく聞く。それならもっと単価の高い店が並ぶように、店舗の区画を大きくする努力をしないといけない。

新大工町の再開発準備組合の理事長は、玉屋の裏にあったうどん屋さんが務めている。浜の町も同じことで、浜屋に隣接するケーキ屋さんが理事長になって、自分の店も再開発に乗るから、みんなも乗ろうと周囲の地権者を口説いて回る位のことをしないと、浜の町の浮上は絶対にない、と思っている。いや、やっているのかもしれないが、浜屋のビルが2倍位の広さになって建て変わらない限り、やっているとは私は思わない。


という話はさておき、タイトルの件。

県庁跡地がどうなるか、と言う前に、グランドホテルの跡地を何とかしろ、と築町商店街が騒ぐのが筋だ、と私は思っている。商店街開発は本来民間がやることだ、という原則は全く頭の中にないのだろう。民間の地権者には何も言えず、役所になら何でも物を言える(頼める)という、間違った意識である。

そもそもグランドホテルはどうしてあんな廃虚になったのか。それは経営難に陥っていた債権者の親和銀行が後先考えずに土地を売って開発が頓挫して塩漬け状態になっているのだ。自分が潰れるなら先に融資先を潰してしまえ、街づくりなんて考える余裕はない、という親和銀行の状況だった。

本来、地方における街づくりは地方銀行が中心になって行うべきことだ。行政がやることではない。資金面は銀行が面倒をみないといけないし、開発が成功すれば銀行にだってメリットがある。長崎の銀行は、そういう気概が全くない。そうして、親和に続き十八銀行も福岡銀行に魂を売ってしまったのだ。

私は長崎で生まれ育った人間なので、商工会議所というのは役所の下部組織だということは、よくわかっている。わかってはいるのだが、商工会議所が中心になって都市開発をまとめようという気は、ないのだろうか。グランドホテルの跡地開発は、民間で話をつければ役所なんか一切関与せずにできるのだ。長崎商工会議所の会頭は十八銀行の会長なんだから、会頭が主導してやればいいのだが、役所の方しか向いてないのだろう。


今度こそタイトルの話。

グランドホテルの跡地に福岡銀行の建物が隣接している。だから、福岡銀行が自ら再開発地区に入って、地権者の住友不動産と交渉すればいいのだ。そこに森ビルを巻き込んでもいい。森ビルでなくて福岡地所(キャナルシティ博多の開発を行った。西日本シティ銀行系。)でも良くないけどいい。福銀が経営統合で長崎の経済のことも考えると口では言うが、それを態度で示すには、こんなにいい方法はない。

私も、福銀は福岡のことだけで長崎が発展することは全く考えていないと思っているが、もしグランドホテル再開発事業を主導するなら、考えを改める。


2019年6月17日月曜日

ゲストハウスブームはユースホステルブームを思い出す

先日、東京で行われた、『令和時代の働き方とライフスタイルについて考えよう!』というイベントに参加してきた。長崎に拠点がある「HafH」というサービスの説明も聞きたいのが、目的の一つでもあった。

具体的なHafHのサービスについてここでは説明しないが、簡単にいえば、どこか一箇所に拠点を構えるのではなく、世界中を旅しながら仕事をして生活をしよう、ということである。

最近、ゲストハウスが流行っているようなことを聞いた。インバウンド旅行者が増え、その人たちが安価に泊まれる宿としてゲストハウスが増え、そこで国際交流をしようとする日本人も増えている、という流れであろうか。具体的に調べてはいないが、近年ゲストハウスの数は増えているのだろう、とは思う。

その話を聞く中で、なんか昔のユースホステルと同じような文脈だな、と感じてしまった。詳細は省くが、ユースホステルはチェックインの時は「お帰りなさい」「ただいま」で、チェックアウトは「いってらっしゃい」「いってきます」である。原則会員制で、世界中にユースホステルの加盟宿舎があり、部屋はドミトリー、夜はミーティングがあって宿泊者が交流して、みたいな感じ。当時はインターネットなんてなかったから、海外(国内でもそうだが)の宿を探す時にはユースホステルの施設ガイド冊子を見て宿を選ぶ。

今回講演されたHafHの方は、加盟施設を開拓するのが現在の仕事だそうだ。ううん、もうこれ、宿泊料金を月額定額制にしているのが新しい部分で、コンセプトはユースホステルと同じじゃないのか、と、素朴に思った。

今回の主催者や参加者は1990年代以降生まれの人が中心。もうバブル後生まれの人だ。ユースホステルが日本で流行ったのはバブル以前なので、その時代を知るはずもないし、興味もないとは思うが、事業として成功させるには、過去の経緯も知っておいた方がいい、とは思った。


それはさておき、最近は若い世代、1990年代以降生まれの人が元気なのかな、と思うようになってきた。私は1970年生まれで、バブル世代と氷河期世代の狭間。私より上の世代(現在50代以上)が元気で、下の世代はさっぱり、という感じである。各種のイベントで、中心になって活動するのは私より上の人たちで、下はさっぱり、というのは、結構いろんな所であてはまるのではないだろうか。

そして今は、そのさらに下の1990年代以降生まれの人が元気になってきたのかな、と感じるようになった。

HafHが提唱する「アドレスホッピング」という考え方も、そういえば私より上のバブル世代的だという気がしてきた。

そもそも居住地を固定しないとなると、自分1人ならいいが、結婚して子供ができれば家族はどうするのか、という問題がすぐ発生する。「そこは考えない。そうなった時に考える。」というのが、バブル世代だった。

「後のことを考えない」で済むのは、「後のことは、その時にどうにかなる。」という思いが根底にあるからだ。バブル世代はそうだった。バブルが弾けるなんて考えもしない。就職は簡単で、困ったらいつでも仕事は見つかる。そういう世代だ。

その後の氷河期世代。もう仕事はない。今でも食えないのに将来いつかは食えるとは、思いもつかない。だから安定した職を見つけないといけない。公務員が大人気。その世代の人には先のことを考えずに今を楽しむ、なんてことは、到底不可能。仕事以外のイベントにも参加する余裕はないし、そもそも仕事がなくて稼ぎが低い中で、プライベートの活動にお金をかけることは、できるはずがない。

それがもう一巡まわってきたのかな、という気がしてきた。近年、就職状況は改善し(これは政治の問題ではない。日本の人口構造が団塊の世代に偏っていて、その人たちが離職して職が一気に増えているのに、若年層の人数が少なくて、補えていないだけだ。)、バブル時代のように「いつでも職は見つかる」という発想になってきたのではないか。だから、世界を放浪するとか、アドレスホッピングというようなことに思考がまわるようになった。


私の世代だと、世界をバックパッカーとして放浪する、なんてのは一世代上の人たちだな、「兼高かおる世界の旅」(1990年終了)を見て育った人たちだよ、という気がするのだが、それが今もう一巡してきたのかな、というのが、先日のイベントに参加した感想である。そういえば、今回の主催者は桃岩荘の「愛とロマンの8時間コース」に参加したことがあると言っていた。あれまだやっていたのかよ。

2019年6月8日土曜日

長崎は雨の日が多いのか

たまには緩いネタ。

よく出る話。
「長崎は雨の日が多いのか」

それに対する答え。
「統計的には平均的だ。多い方ではない。」

私の答え。
「統計的にも雨の日は多い方だ。」

何故か。
データを見てみる。

岡山県のHPから
「晴れの国おかやま」が引き続き統計的に裏付けられました

ここのデータを使わせてもらう。
全国の都道府県庁所在地のデータ(埼玉は熊谷、滋賀は彦根)をもとに順位づけをすると、岡山が一番晴れの日が多い、ということだった。

年間の降水量1mm未満の日数(平年値)(全国) [PDFファイル/23KB]

これを見ると、長崎は28位。順位が低いほど晴れの日が少ない、ということになる。
48都道府県の中で真ん中位じゃないか、と思った人。統計の見方が間違ってます。

このデータは「降水量」が基準。「降水」というのは、雨だけでなく雪も含まれる。
つまり、このデータだけでは「晴れの日が多い」ことはわかっても、「雨の日が多い」のか「雪の日が多い」のかは、わからないのである。

そう思って表をみて欲しい。38位から47位(最下位)までは、全部日本海側の県(都市)なのである。冬はほぼ毎日雪がちらつく。雨が多いのではないのだ。
37位は滋賀だが、滋賀の観測点の彦根も結構雪が降る。36位は岩手。太平洋側の県なのでちょっと意外だが(ちなみに宮城は11位)、盛岡もそこそこ雪が降る。

という訳で、28位の長崎から35位まで並べると、
28 長崎
29 熊本
30 福岡
31 岐阜
32 山口
33 宮崎
34 鹿児島
35 沖縄
こんな感じ。

結論として言えるのは、
・長崎は全国的に見て雨の日は多いが雪の日は少ない。
・全国的に見ると雨の日は多いほうだが、九州の中では少ない方だ。
ということになる。

ちなみに全国平均の値は33.5位になる。
47都道府県の半分の順位は23.5位なので、いかに平均値が順位に比べて低いかがわかる。
つまり下位の県の数値がものすごく低く平均値を下げているということだが、それはいかに日本海側の県の晴天日が少ないか、ということの現れである。


2019年6月1日土曜日

JALが天草エアラインの手助けをしてるんだから、ANAも・・・

前回の話の続き。

機長不足で欠航が相次いでいる天草エアライン(AMX)の路線に、JAL系列会社が協力し、欠航を回避する見込みがついたというニュースが出ている。

3割欠航の天草エア、12月にも解消 JACが機長派遣へ


とりあえずは8月から運休が続いているAMXの熊本伊丹便のかわりに、JALグループのJ-AIRが運行する便にAMX便とコードシェアすることで、AMXの予約でも熊本伊丹間に乗れるようにするということだ。

突発的な機材故障と恒常的な機長不足では理由が違うが、運休便が多いということは共通点だ。

やっぱりお盆の多客期を控えているんだから、ANAもORCに欠航便が出ないように、前回提案したような方向性で協力すべきだと思うのだが、いかがだろうか。