2020年7月27日月曜日

なぜコロナ対策で高齢者の行動に制限をかけない?

この話は長崎県に限ったことではないのだが。

とりあえず、長崎県の新型コロナウイルス対策の目的が見えないという話は、前回書いた。

長崎県のコロナ対策は目的が見えないことが問題



そして、諌早市で70代男性の感染が判明したのだが、場所が問題である。

健康センターで陽性患者と接触 長崎県諫早市の70代男性が新型コロナ
男性は7月17日、諫早市の小長井健康センターにあるトレーニング施設を利用していて、ここで長崎県内51例目となった諫早市の50代の男性と接触があったということです。

私が以前から思っていることなのだが、この件を契機に書きたい。

感染症対策というのは、ハイリスクな人たちを隔離する、ということが基本のはずだ。スポーツジムは感染が起こる場所だというのは、かなり以前からわかっていたこと。では何故、感染が広がっている今の時期に、高齢者のスポーツジム利用を禁止しないのか。


子どもは感染してもほぼ無症状か軽症で済む。実際に日本では18歳以下の死者は、ゼロである。

それなのに「命が大事だ」とか言って、高総体を中止にした。

高校生は感染しても死なない。命が大事だと言うのであれば、60歳以上の人を立ち入り禁止にして、高総体を開催するという選択肢もあったのではないか。

高総体に限らず、多くの若年層のイベントが中止・規模縮小になっている。弊害が多いと言われながらも、子どもへのマスク着用やソーシャルディスタンシングを行っている。それは全て、「子どもを経由してハイリスクな高齢者を感染させてはいけない」という理由だったのではないのか。

コロナと小児科医療 「子どもの重症化リスク低い」 長崎大学病院 森内教授

また、成長発達の過程にある子どもが、友達との触れ合いの機会が減り、マスクを着けた状態でしか友達や先生の顔を見られないと、表情から感情を理解できない大人に成長する恐れもある。子どもを犠牲にしていることを頭に置き、どこまで我慢を強いるべきかを考えたい。

そうやって子ども達に負担をかけるのに、何故、もともとハイリスクな高齢者は自由に行動させているのか。感染拡大防止対策としては、全く意味不明である。

民間のスポーツ施設で年齢制限をかける、となれば、経営問題になる。しかし、公営の施設であれば、例えば60歳以上の利用を当面控えてもらう、などの対応は、できるはずだ。何故やらない?


とにかく「高齢者のため」とか言って子どもたちに過剰な負担をかけながら、その高齢者は自由にさせているという今の日本社会は、絶対におかしい。

2020年7月23日木曜日

長崎県のコロナ対策は目的が見えないことが問題

長崎県内でも無症状の検査陽性者が増え(患者とは言わない)、県民および旅行者の不安感を増大させているが、特に県知事がしっかりとしたメッセージを出さないことが、大きな問題だと感じる。

新型コロナ対策で一番まともなことを言っているのは、大阪府の吉村知事だ。

ちょっと長いので私も全部は見ていないが、会見のようすを紹介する。


大阪府・吉村知事「陽性者120名程度。過去最多。30代以下が7割」(2020年7月22日)


吉村知事は、これだけ大阪府内で検査陽性者が増えても、Go Toキャンペーンについて「その必要性は認識をしています。」と言っている。

大阪府・吉村知事が定例会見7月22日(全文2)休業要請は持続可能なやり方ではない


吉村知事の素晴らしい所は、コロナ対策の目的がしっかりしていて、そこを目指していると明言していることである。具体的にいえば、「医療機関をひっ迫させない」ということだ。

いくら検査陽性者が増えようが、無症状や軽症者ばかりであれば、ホテル療養にすれば医療機関への負担は減らせる。だからホテルを確保する。そして、医療に負荷がかからない範囲内で経済を回す。今は重症者が非常に少ないので、感染拡大に注意しながら、飲食店の利用や旅行も認める。実にわかりやすい。

長崎県知事の話からは、こういう方針が全く感じられない。観光客を受け入れることが長崎県経済のために重要であるのなら、そのためにどういう対策を取っていくか、吉村知事のようにきちんと説明すればいいのだ。長崎県の場合、現在病床を占有しているのは、重症者どころか軽症ですらない無症状者ばかりだと、何故知事の口から言わないのか?

実際には方針も対策もないので、説明のしようがないのだが(苦笑)。


長崎県の方針のなさが顕著に現れたのが、五島での陽性者発覚後の対応である。この対応に問題があることは、前回の記事に書いた。

五島保健所は自ら医療崩壊を招くつもり?


陽性者の濃厚接触者はいないが、接触者の希望者全員に検査をした。何のための検査なのか、目的が全く見えない。

接触者13人の検査は陰性だったようだが、仮に全員陽性だったら、どうしたのか?全員入院させるつもりだったのか?陽性判明者2人に加え13人を入院させたら、15人になる。五島市の感染症指定病院に15人も入院させると、他の診療に影響が出ないのか。そこまで考えて検査をしたのだろうか。

みなとメディカルなど新たに3人 長崎県内感染確認50人に


税金を使って検査をする以上、それは「陽性になる確率が高い」ことが理由にならないといけない。つまり、13人が陽性になる前提で事後の対応を考えた上で、検査をしないといけないのだ。仮に陽性者が出ないと思うのであれば、公費で検査をしてはいけない。

政府の新型コロナウイルス感染症(COVID-19)対策を助言する分科会の尾身会長は、PCR検査の対象として、以下のように述べている。

1例でも感染出た医療機関、接触問わず「PCR検査可能に」、分科会


検査体制を巡って、尾身会長は7月6日の初回会合で、(1)有症状者、(2)感染リスクおよび事前確率が高い無症状者、(3)感染リスクおよび事前確率が低い無症状者――の3つのカテゴリーに分けて、それぞれの対象範囲やふさわしい検査の在り方を検討する意向を示していた。

一方、これらに該当しない(3)の場合は「行政検査は実施しない」と明記し、自費での検査であれば認める考えを示した。

五島市の接触者は(2)だったのか。「濃厚接触者」であれば(2)だと言えるが、ただの「接触者」であるから(3)であろう。


長崎県の対応は、「医療機関に負荷をかけないようにする」ことを目標にしているとは、思えない。大量の無症状・軽症の陽性者を炙り出し、無症状の状態で入院させ、医療機関の負担を増やし、コロナ以外の患者への診療に悪影響を与えている。

そして、県民には「医療危機が起こる」と言い、行動を萎縮させる。この状態で観光客に来て下さいと県民が思えるはずがない。

私はかなり前から訴えているのだが、何故長崎県は離島での軽症者用施設を確保しないのか。確保できているのは壱岐市の市所有施設だけだと聞く。


「コロナ後」を見据えた観光戦略を
「コロナ後」の対策を、特に対馬で早めに立てよう


長崎県がやるべきことは、特に離島において軽症者用の施設をしっかり確保し、「陽性者が出ても通常の医療には影響が出ないようにします」と言うことではないか。

また、壱岐では重篤化のおそれがある罹患者を自衛隊のヘリコプターで本土に搬送した。今回も五島で重篤化のおそれがあるとして、海上保安庁の巡視船で搬送した。こういう例を挙げ、「何かあっても万全の体制で治療しますから、心配しないで下さい」と離島住民に言うべきではないか。


長崎県の対応は、とにかく県民の不安感を煽って行動を萎縮させようとすることばかりだ。そのくせ、観光客には来てくださいと言う。これでは県民が県政に対して信頼感を持てるはずがない。観光客に来てくれと言うのであれば、大阪府知事みたいにしっかり方針を示して、県民を納得させる努力が必要である。


2020年7月22日水曜日

五島保健所は自ら医療崩壊を招くつもり?

五島市で初の新型コロナウイルス感染者が確認された。
2人とも現在無症状だということである。

以前から繰り返し書いているが、ウイルスが永久になくならない以上、「感染者を出さない」という方針を取るのは間違いで、「出た時にどう対処するか」を考えることが重要である。

もともと日本の新型コロナ対策はどういう方針だったかといえば、医療崩壊を招かないことと重症者を出さない、ということだった。感染者をゼロにする、ではない。

ところが、各地の首長が「感染ゼロ」を目指して検査数を増やし、無症状の感染者を大量に浮かび上がらせて、国民の不安を増大させている。今大量に出ている感染者は、「37.5度以上の発熱が4日続く」という以前のルールに従えば、ほぼ全員が「検査を受けられなかった」人たちであり、重症者もほとんど出ていない。それなのに、国民の不安は解消されていない。

「発熱4日ルール」までは行かなくても、無症状者に対する検査をなくすだけでも、国民の不安感の解消度は相当なものになるのだ。安心のために検査をするというのは大きな間違いで、現実には検査をすることにより国民の不安は増大しているのである。


五島市の話に戻す。感染者の濃厚接触者はいないということだが、接触者は希望すれば全員検査を受けられるそうだ。

五島市内で新型コロナウイルス感染者が確認されたことによる市長メッセージ

今回、感染された方との接触者につきましては、7月21日から22日までに五島保健所から連絡があり、希望される方は全員検査を受けていただきます。なお、濃厚接触者と判定された方はいらっしゃいませんでした。

これ、誰が決めたのだろうか。文面からすると五島保健所だろうか。となると、長崎県が決めたということだ。

もしこれで無症状の感染者が何人も出てきたら、県はどう対応するつもりなのだろうか。

五島市の感染症病床は4床しかない。もうそのうちの2床が埋まっている状態だ。23床までは対応できるようだが、そうなると医療機関の機能低下は免れず、他の病気の人に対して十分な医療が提供できなくなる。

これは実際に東京での感染ピーク時に起こった話で、コロナ対策で病院が疲弊し他の病気への対応に影響が出て、新型コロナによる死者よりも他の病気による死者が増えた、という現場の意見がある。

新型コロナ「超過死亡」提示へ 厚労相「専門家と検証」

海外では週単位で全死亡数が公表されており、「超過死亡は感染者の死亡報告数より6割多い」などとする分析が出ている。感染者の見逃しだけでなく、医療崩壊が起きて適切な医療を受けられずに死亡した可能性などが指摘されている。


長崎市でも検査陽性者の数が増えていることが問題になっているが、「入院中」の全員が無症状である。

さすがに全員が無症状だというのはデータがおかしいとも思えるが、新聞報道に出ている範囲では、「入院した」という話は全員症状が改善した後である。
(7/27追記 上の図、クリックしてみて下さい。さすがにゼロは間違いで、「データなし」だそうです)

長崎市民病院(今は名前が変わったらしいが、長すぎて覚えきれない)ではクラスターが発生し、診療のほぼ全面休止など大幅に病院機能が低下している。

みなとメディカル感染4人 長崎県内46人に 五島でも2人初確認


ところが、検査陽性者は全員発熱1日とか無症状というレベルで、そういう人を入院させ医療資源を食いつぶし、本来の患者さんへの診療が手薄になっているのだ。

私は当該病院に知人がいないので全く情報を持たないが(Yahoo!ニュースのコメント欄では見かけた)、さすがに今の状況に直面すれば、このやり方はおかしいと思うだろう。発熱1日とか無症状の患者を完全防御で手厚く保護して、他の患者の診療を制限しているのだから、まともな医療者なら相当歯痒い思いをしているだろう。


長崎県は、本土の医療体制を1段階上の「フェーズ2」に引き上げた。

新型コロナ 長崎県「フェーズ2」へ 本土の医療機関に病床確保を要請

本土では長崎市の長崎みなとメディカルセンターで集団感染が発生するなど、19日現在、計23人が指定医療機関に入院、または軽症者用宿泊療養施設に入所。県は入院・入所の内訳を公表していないが、入院者が49床の3分の1を超えたとみられる。

しかし、何故入院・入所の内訳を公表しないのか。入院者が軽症なのか無症状なのか公表しないのか。上に出したデータは、県が軽症なのか無症状なのか公表していないから、「軽症・中等症」が0なのかもしれないが、仮に全員無症状で、無症状者のために病床が圧迫されて、他の病気の患者への診療体制が制約されるというのは、おかしいだろう。

以前にも書いたが、やはり長崎県は、対応が根本的に間違っていると思う。

長崎県医師会と長崎県知事は今何をすべきか全くわかっていない



長崎県の医療関係者は、「コロナ対策の目的」が何なのかを、もう一度考え直して欲しい。



2020年7月15日水曜日

「Go Toキャンペーン」を活用して都会から観光客を呼び込もう

政府が7月22日から始める旅行推進策の「Go Toキャンペーン」に対して、賛否両論が出ている。

反対派は、ほぼ「都会から地方にウイルスを拡散させるな」という意見だ。しかし、その理由で事業を中止する必要はあるのだろうか。

これは「新型コロナウイルス対策」がどこを目指すのか、ということと密接に関係している。


今の段階でわかっていることといえば、コロナ対策として「封じ込め」は無理がある、ということだ。

ウイルスは絶滅させることはできない。私が知る限り、ウイルスがなくなると言っている専門家は1人もいない。では、なくならないという前提でどういう対策を取ればいいのか。

今の世の中、国境を永遠に閉ざすことは経済面からほぼ不可能なので、仮に国単位での封じ込めが成功したとしても、国境を開けばいつかはウイルスが入ってくる。1度は封じ込めに成功したと思われた韓国や香港、シンガポールでは、再度流行が起こってしまった。

また、今でも封じ込め状態を続けているニュージーランドでは、国境を開くことができずに困っている。ニュージーランドは現在冬で、私も去年の今ごろはニュージーランドにスキーに行っていた。世界中からスキー客が集まっていたが、今年は海外からの観光客を入国させることができずに、現地のスキー関係業者も大変だろう。

となると、集団免疫が達成されて、感染が収束するしか方法はない。ヨーロッパは集団免疫が達成されて、感染が収束に向かいEU域内での旅行は自由にできるようになった。日本からの観光客が自由に入れる国も増えている。


行動規制による感染拡大防止策は、あまり意味がないというのは世界中の事例を見るとわかる。かなり早期に厳しい行動規制を取れば効果はあるようだが、それでも永久に行動規制を続けないと感染拡大を止めることはできない。

アメリカではカリフォルニア州が早期に行動規制を取って感染拡大防止に成功し、ニューヨーク州は失敗したと言われていた。ところが今の状況を見ると、ニューヨークは集団免疫が達成されて感染が収束しているが、カリフォルニアはまだ感染拡大が止まらず、行動規制を続けないといけない状況になっている。この現況を見て、カリフォルニアの行動規制が成功だったと言っていた人は、どう考えるのだろうか。


世界中を見ても、新型コロナ対策が成功したと言えるのはスウェーデンだけではないだろうか。スウェーデンも全く規制をしなかった訳ではない。市民生活の規制は最小限にして、重症化リスクの高い高齢者が罹患しないような対策を取った。

スウェーデンが失敗だったという人は、高齢者の死亡率が高いことを理由に挙げる。確かに、隔離したはずの高齢者施設で集団感染が起こったことは、スウェーデン政府も失敗として認めている。それでも国全体の人口あたり死亡者数はイギリスより低く、経済活動とのバランスを考えると、全体としてみれば成功したと言えるだろう。


では日本の地方はどうすればいいのか。「ウイルスを持ち込まない」では、永遠に地域を閉ざさないといけない。「ウイルスが持ち込まれることを前提にして、重症者・死亡者を出さない医療体制を作る」ことが、コロナ対策の目的にならないといけないのだ。

新型コロナ陽性者が出る前提での観光推進を


そもそも日本のコロナ対策の目的も、最初は「重症者・死亡者を出さない医療体制を作る」ことだったはずだ。それが世論に押されて、「感染者を1人も出さない」に変わってしまった気がする。


これは2月24日発表の政府専門家会議の資料だ。「現時点」というのが「この1〜2週間が瀬戸際」と言った時点である。この図からすると、今は「重症化防止」の時期であり、感染拡大防止のタイミングではない。

そして注意すべき点は、今は何故か感染者が重症化しなくなっていることだ。

なぜか、新型コロナで誰も重症化しなくなっているをデータで見る


「重症化しなくなっている」と判断するにはまだ早い、という意見もあるが、私はさすがにもう判断していいと思う。

では何故重症化しなくなったのか。ウイルスが変異して弱毒化しているのかもしれないし、あるいは夏場は人間の免疫力が高まるので、冬場なら重症化する人でも夏場に罹患すれば軽症で済むのかもしれない。


ここが重要である。仮に夏場の免疫力が要因で重症化しないのであれば、冬場より夏場にウイルスの流行が起こった方が、重症化する人を減らすことができるのだ。

地方が永遠に都会からの人を受け入れないつもりなら、「Go Toキャンペーン」に反対して閉鎖状態を作るのは構わないと思う。しかし、いつかは感染が広がって集団免疫が達成されないといけないのであれば、夏のうちにウイルスの流行が起こった方が、被害は少なく済むのだ。

私は地方在住者として「G0 Toキャンペーン」に乗る方がいいと考える。

2020年7月5日日曜日

新型コロナ陽性者が出る前提での観光推進を

東京都での新型コロナ陽性者が増えたり、長崎市でも陽性者が出たりと、まだまだコロナ騒ぎは落ち着くきざしを見せない。

その中で、「感染者が出ているのに観光客を受け入れるのはけしからん」というような意見を言う人がいる。

こういうことを言う人は、大前提が間違っていることに気付いて欲しい。

コロナウイルスは永久になくならないのだ。必ずいつか、どこかで陽性者が出る。だから、陽性者が出る前提で話をしないといけない。

陽性者を出さないことが目的になるのであれば、長崎には観光客を永久に呼べなくなる。それでいいのか。観光に従事していない人や年金で生活している人は困らないだろう。しかし、それでは地域が衰退してしまう。

市民に強烈な行動規制を強いて徹底的な封じ込めをやったニュージーランドは、今国境を開けなくて大問題になっている。国境を開ければ、必ず感染者が入ってくるからだ。実際、葬儀のために帰省した人がウイルスを持ち込んで、大問題になってしまった。

新型コロナ「勝利宣言」のニュージーランドにも新規感染者


当初は、ニュージーランドとオーストラリアの間だけは移動できるようにする計画だったが、それも暗礁に乗り上げている。

感染者を出さないという政策は、経済を壊滅させる危険な方針だということを、長崎の人にも理解して欲しい。


ではどうすればいいのか。コロナ陽性者が出ても心配しないで済む医療体制を整備することが大事なのである。具体的な内容は以下の記事ですでに書いたので参照頂きたい。

「コロナ後」を見据えた観光戦略を

「コロナ後」の対策を、特に対馬で早めに立てよう



長崎新聞に対馬グリーン・ブルーツーリズム協会事務局長の川口幹子さんが興味深い記事を投稿されていた。

【寄稿】「ポストコロナの農村観光」 不要不急を田舎の特権に


一部引用する。

大皿に盛られた刺身や鍋を囲みながら、マスクを着けずに会話を楽しみ、客とホストの間に、金銭と品物の交換を超えたコミュニケーションが生まれる。ポストコロナの日常で、それが田舎の特権になるならば、田舎に生きる私たちは、それを誇りと認識し、守らなければいけない。

そもそもマスクをして接客することを、客が望んでいるのか。宿側が勝手に客が求める「安心・安全」を判断して、過剰な安心を押し付けているのではないのか。そこを考えて欲しい。

現状では、都会に住む人が田舎に行く時に、自分が田舎にウイルスを持ち込むのではないかと心配して、旅行を控えている。都会から田舎に行って、田舎でウイルスを貰う心配をしているのではないのだ。マスクは自分から相手にウイルスを飛ばさないようにする効果しかない。つまり、田舎でウイルスを貰う心配をしていない都会の人に対して、マスクをして接客するというのは、必要のないことなのだ。

「私達はウイルスを貰う心配をしていません。仮に罹患しても、長崎県には十分な医療体制がありますので、私たちがコロナで死ぬことはありません。だから、心配せずに旅行に来て下さい。」と都会の人にメッセージを出さないといけないのだ。


私は先日東京に行ってきたが、電車の中の人が全員マスクをつけているのを見て、息苦しさを感じた。東京に住んでいたとすれば、その息苦しさから解放されるために地方に旅行に行っているのに、旅行先でまで全員マスクをして飛沫防止のビニールに覆われた状況を見て、気持ちが安らぐだろうか。

上京した時にJALの株主総会に参加して、質疑応答の時間に手を上げたら指名されたので、1つ質問をした。「過剰なコロナ対策をするのは、やめて欲しい。特に乗客全員にマスク義務化をするのは解除して欲しい。これから夏休みに入ってリゾート地に家族連れで旅行をする時に、全員マスク着用の機内にいたら、息苦しくなる。」と。

担当役員からの回答があり、「永久にマスク義務化を続けるつもりはないが、今はまだ乗客の反応を見るとマスクは義務化すべきだと判断している。」とのことだった。つまり、機内でマスクを義務化することに対して科学的根拠はなく、乗客の気持ちを勘案して判断しているということだ。


長崎新聞に以下のような記事も出ていた。

<いまを生きる 長崎コロナ禍> 消える? 大皿、直箸、杯洗… 長崎料亭文化に逆風


これも一部引用する。

卓袱は女将が「御鰭(おひれ)(吸い物)をどうぞ」と客に勧めて始まる。「花月」女将の中村由紀子さん(62)はその際、全従業員がマスクを外さないことに理解を求める。「たとえ、やぼと言われても、感染者を出して長崎観光のブランドを傷つけるわけにはいかない」と考える。

これは1つの考え方ではあると思うが、私は女将がマスクを外さない料亭には行きたくないし、仮に感染者が出た所で長崎観光のブランドが傷つくとも思わない。


星野リゾート代表の星野佳路氏の意見も引用する。

【星野リゾート・星野佳路代表】「久しぶりに代表としてお呼びがかかった」。倒産確率を示して社員と共有した現状と未来


かなりのペースでアイデアがいろいろと出てくるので、逆にあまり細かいことは見ていないのですが、マスクをつけた接客は、スタッフの表情がお客様に見えないので、私は1月ぐらいまでは反対していました。その後、「それでもやります」ということでマスクでの接客になっています。 
1月の段階ではここまで深刻になるという認識が私になく反対したのですが、今も改善は依頼しています。表情が見えるシールド・タイプにするか、マスクのデザインを工夫するようにと。 
なぜなら、星野リゾートのサービスにおける顧客満足度というのは、施設よりもスタッフに対するもののほうが圧倒的に高いからです。「スタッフの笑顔が素晴らしい」という感想を毎日のようにいただく。マスクで表情が分からずしてスタッフの笑顔や気持ちが伝わるのかと思うからです。

感染対策として気安く従業員にマスクを着けさせている接客業の方々、星野社長の意見もふまえて、そこは良く考えて頂きたい。少なくとも私は、マスクや飛沫除けのビニールシートやアクリル板のないホテルを積極的に選ぶ。チェックインで検温されたら、ふざけるなと言いたくなる。


話を元に戻すが、少なくとも長崎県では、「感染者が出ることは気にしない」「出ても大丈夫な医療体制を整える」ということを、県民そして旅行に来る都会の人に積極的にPRすることを政策の基本に置いて欲しい。間違っても過剰な感染防止対策をすることを推し進めることは、やめて欲しい。必ずしも旅行者はそれを望んでいないのだから。