2020年11月15日日曜日

修学旅行生に過剰なコロナ対策を押し付けないように

 アメリカ海軍におけるコロナ対策の結果が出た

手短に言えば、「軍隊ほどの徹底した感染対策をしても、コロナウイルスの感染拡大は防げない」ということだ。

米軍でも防げない感染拡大を、どうやったら民間人が防げるのだろうか。


沖縄県で感染対策をされている高山医師が、修学旅行生への対応についてFacebookで答えられている

リンクを開くと動画が出るが、動画ではなく、横についているコメントを見て頂きたい。

要点をいえば、修学旅行生同士であれば、感染するのならどこかで感染する。どうせ感染するのだから、過剰な対策を取って不愉快な思いをさせる必要はない、ということだ。


世間の感染対策は、何が目的なのかわからなくなっている。完全に感染を防ぐのは不可能である。絶対に風邪のウイルスを貰ってくるな、と言うのと同じこと。世の中から風邪を撲滅させることは不可能。新型コロナウイルスだって風邪のウイルスである。だから撲滅させることはできないし、感染を完全に防ぐことだって不可能である。

心ある医師は、当初は「インフルエンザ並みの対策でいい」と言っていた。しかしそうした人も世間の圧力に潰されて、この手の発言はできなくなっている状況だ。

完全に防ぐことができなければ、過剰な対策を取るのはデメリットしかない、というのが、高山医師の基本的な考え方のようである。

修学旅行対策にしても、そうだ。過剰な対策を取ることにより、楽しいはずの修学旅行が、きゅうくつでつまらないものになっては、意味がない。


まあ、長崎県民からしたら、「結果はどうあれ、努力したことに意味がある。」という発想が基本にあるのだろう。仮に感染者が出ても、「努力したんだから、仕方がない」と思える。そう、結果より過程のほうが大事なのが、このブログでも繰り返し書いている、長崎県の基本的な姿勢なのである。

しかし修学旅行で来るのは長崎県民ではない。都会の人を受け入れるのであれば、もっと都会的な合理的な発想で受け入れるべきだ。時期的にはちょっと遅くなったが、「その対策は過剰じゃないですか?」ということを、受け入れ側には1度考えることを心がけて欲しい。



2020年11月12日木曜日

長崎で新型コロナは流行していないのか?

 世間では新型コロナの第3波がどうたらこうたらで、大騒ぎになっている。

それに比べて、長崎県では検査陽性者があまり出てこない。

これは何故なのか?

私が有力な理由として考えているのは、長崎市民はもう何回も新型コロナに罹っていて、今さら罹っても、ほぼ無症状で終わっているのではないかということだ。

以前の記事でも書いたが、長崎市民の間では、今年の1月に新型コロナの流行が起こっていたのではないかと思っている。

クルーズ船乗員の不安感は長崎市民の比ではない

私も1月にそれっぽい風邪を引いた。機会があったので6月に抗体検査を受けてみたが、陰性だった。


そもそも世界中で第2波だの第3波だのが起こっているが、何故こういう波が起こるのか。明確な理由を示す専門家はいない。

一番有力な仮説として私が納得できるのが、1度罹患してできた免疫が3ヶ月位で切れて、また罹患する。2回目以降は1度罹患しているので、体がウイルスへの対処方法を覚えていて、無症状で終わるか軽症で済む。これを3ヶ月位おきに繰り返すので、回を重ねるごとにピークは低くなり、山の裾野は広くなる。

何で風邪を引くのかというと、体が弱っている時に、その辺にうじゃうじゃある通常のコロナウイルスに対する抵抗力をなくして、健康な時には何ともないのに、ウイルスに負けて発熱を起こしたりするのだ。

通常のコロナウイルスには日常的に接しているので、ウイルスが侵入してきても体が対処できる。新型コロナウイルスは新型だったから体が対処できずに重症化することがあったけど、もう体が慣れてしまえば、そのうち通常のコロナウイルスに対応するのと同じように対処できて、重症化しなくらる、という説がある。

アジア人が欧米人に比べて重症化しない、というのも、欧米に比べてアジアの方がコロナウイルスが沢山あって、それに普段から対処しているから、新型コロナが出ても重症化しなかった、という説明もある。


では長崎市ではどうなのか。ご存知の通り、今年のランタンフェスティバルの前までは中国人が山ほど街中を歩いていた。それで長崎市在住者が新型コロナに罹っていないはずがない。もう今年の1月には、長崎市内で新型コロナの第1波が起こっていたと考える方が自然である。

そして3ヶ月経って4月以降の全国的な流行期には、免疫が切れて新型コロナに多少罹る人はいても、他の地域よりは発症する人が少なかった、という解釈が成り立つ。

私の身の回りでも、去年の12月から今年の1月にかけて、新型コロナっぽい風邪にかかっていたという人は、結構いる。それに対し、4月以降新型コロナで陽性反応が出た人は、1人もいない。つまり、4月以降に比べて遥かに大きな新型コロナの流行が、もう1月には起こっていたのだ。

もちろん、1月に怪しい風邪を引いた人が新型コロナだったという証拠は何もない。抗体検査をしても、私のように3ヶ月も経てば消えるから、わからない。しかし新型コロナじゃなかったとしても、新型コロナっぽい風邪をひくことで、新型コロナへの対処方法を体が身に付けるのは同じことである。だから、長崎市では他の地域に比べて先に流行を済ませていて、世間では第3波と言っていても長崎では第4波になっていて、もう軽症無症状で済む人が大多数になっているのだ。


こんなの素人の仮説でしかないのだが、理屈としては成り立つ。専門家の意見を是非聞きたいものだ。


<追記>

知人の関東在住の内科医の話によると、もう風邪症状の十人ちょっとに1人は新型コロナ陽性だそうだ。新型コロナウイルスは、関東ではそこらに充満しているようである。

私の今回書いた考え方だと、長崎市内にはそれよりももっと広く新型コロナウイルスは充満している。こういう風邪のウイルスに対して、「絶対風邪をひかないように」と強力な感染対策を取る意味が、あるのだろうか。多くの人は、普通の風邪症状で治っているのに。



2020年11月10日火曜日

なぜ雲仙温泉は観光客にマスクを着用させたがる?

また雲仙温泉の悪口です。今回は手短に。

雲仙温泉は避暑地としての魅力向上を


日経新聞の記事で、私のゼミの後輩の和田寛氏の話が出ていた。

白馬を日本の宝に 官僚・コンサルからの転身

彼は白馬の再興で頑張っているのだが、記事から一文だけ引用する。

和田さんは「密にならずマスクを外せる環境があるリゾートの価値はむしろコロナで増す」と語る。

雲仙温泉は何を売りにすべきか、全くわかっていない。成果を出している所と、そうでない所の差が出ていると思う。

2020年10月22日木曜日

長崎県立図書館は自ら考える気がない

 ミライon図書館に行ってきた話を先日書いた。

ミライon図書館に行ってきた

上の記事に最後の方に、「今だにコロナ対策で座席を減らしている。いつまでこの措置を続けるつもりなのだろうか。これは、県民の学びの場を奪うことになっていると思わないのだろうか。」と書いたが、この件に関して図書館側から匿名で回答が来た。

最初に書いておくが、何故回答を出した担当者の名前を相手に伝えないのだろうか。質問者の個人情報は必須条件にしているくせに、回答者が匿名というのは、まあお上意識が強いというか。お上の言うことに庶民は黙って従えということなんだろう。お上はお上なので、誰が言ったのか、発言に責任を取る必要はないのだ。

何故座席を減らしているのかについては、国や県の通知や、公益社団法人日本図書館協会が策定したガイドラインに従っているからとのことだった。そう、自分の意思では決めていません、ガイドラインに従っただけです、という、責任逃れの回答でしかない。さすが長崎県教育委員会。自分の頭では判断しませんよ、ということを、強調されている。


そもそもガイドラインが正しいのかどうかについて、疑問を挟むつもりはないのだろうか。そりゃ国が決めたことですから、国に意見するなんてとんでもない、というのが県職員としての考え方だろう。長崎県の教育界は、そういう所ですよ。上に従え。長いものには巻かれろ。自分の頭を使うな。私もそういう指導を、18歳まで受けてきたから、よくわかる。

今のコロナ対策のように、未知の事象への対応であれば、時間が経つといろんなことがわかってきて、対策も変わるものだ。実際に、感染経路としては換気の悪い密室でのマイクロ飛沫が大きな原因であり、接触感染は少ないということわかってきたし、声を出さない場所では感染がほぼ起こらないということも、わかってきた。

図書館のように声を出さない場所で座席を減らす必要性は、あるのだろうか。そりゃ国の指針に従うことが重要で、理由について自ら考えるなんて、恐れ多くてやってはいけないことだというのが、長崎県の教育界では当然の考え方だということは、よくわかる。長崎市立図書館は座席を減らしていないと言っても、それは他の自治体のことであり、県が知ったことではない。ましてや県が下級自治体である市のやり方を参考にするなど、あり得ないことである。国の指針が変わらない限り、県のやり方が変わることなんて、絶対にないのが長崎県なのだ。


では図書館に対して国の指針は変わらないのか。変わらないだろうというのが、私の正直な気持ち。そんな面倒で緊急性の薄いことは、国としても後回しになる。

例えば映画館が定員どおり入れるようになったのも、民間からの強い要望が国に対して行われたからだ。映画館は客が入らないと採算が取れない。だから、入場客数を増やしても感染対策として影響がないと主張して、規制を緩和してもらって赤字を減らそうという動きが出る。

しかし図書館は、県民の学習の機会を奪うことに対して、何ら抵抗感がない。県民が賢くなると、長崎県のカースト最上位に属する県職員の権威が落ちて、困るのだ。私は特に緊急事態宣言が出て図書館が閉まって、研究活動に多大なる支障が出た。私のような在野の研究者にとって、研究拠点は公立図書館しかないので、そこが閉まると一大事なのである。そして私のような人間が研究活動を活発に行い積極的に発言すると、県職員や県知事が困るということは、このブログを読めばよくわかるだろう。だから、図書館の利用制限を続けることは、県職員にとってはメリットしかない。来館者が減ることで職員の給料が下がることもないので、仕事が減って給料は変わらないと、いいことづくめだ。


その後メールの回答が来ないので、私がここに書いた話は図星だったのだろう。何か反論があれば、きちんと回答して頂きたい。


(10/23付記)

図書館から回答が来ました。

回答者の名前は名乗れない、それだけです。

ううん、例えば電話で問い合わせをした時に、「お名前をお伺いしてよろしいでしょうか?」と聞いたら、この図書館は「答えられません」と言うのでしょうか?

いよいよ組織として、話になっていないようです。

2020年10月7日水曜日

ミライon図書館に行ってきた

 ミライon図書館が開館して1年が経ったそうだが、今日、初めて行ってきた。


ミライon図書館は、長崎市内にあった県立図書館が大村市に移設され、大村市と共同の図書館になったものだ。

以前、県立図書館の移転場所を長崎市にするか大村市にするかで議論があった。

新長崎県立図書館は大村市へ

私は一貫して大村移転を主張していた。理由はリンク先を読んでもらうとして、手短に言えば、長崎市には市立図書館ができて、県立図書館がある必要性は薄まった。県立図書館は県下全域からアクセスしやすい大村市に立地すべきだ、ということだ。

長崎市に作るべきだという意見では、長崎市に研究者が多いから、長崎市におくべきだということだったが、私は、そんなの必要な時に大村に行けばいいじゃないか、と思っていた。


それで今日、ついにミライon図書館に行く用ができた。何のことはない、県立図書館を使わなくても、この1年間、長崎市立図書館で十分足りたのである。長崎市立図書館も蔵書は充実している。但し、歴史が浅い分、古い資料がないことが欠点である。今日は、古い資料を見るためにミライon図書館に行く必要が生じた。

長崎市から大村の図書館に行くのが不便なのだろうか?不便だから大村移転反対、というのは長崎市民のわがままでしかないと、移転の議論が出ていた時から思っていた。実際行ってみたら、全然不便じゃない。

高速シャトルバス(大村 - 長崎)

長崎と大村の間には、高速シャトルバスという便利なものがある。長崎「県営」バスが、民間事業者たるJR九州の邪魔をしていいのか、という議論もあろうが、県内輸送に全くやる気の無いJR九州の「補完をする」ために、県営バスが充実するのは、いいことだと考えよう。

高速シャトルバスを使えば、長崎市内中心部(それこそ市立図書館の目の前のバス停)から、ミライon図書館の目の前のバス停まで、乗り換え無しで40分弱で着く。全然不便じゃない。

県立図書館の移転に反対していた人たち、移転して不便になったのですか?そもそも、図書館を使ってたのですか?ちゃんと言及して下さい。


それはさておき、ミライon図書館に行くと、今だにコロナ対策で座席を減らしている。いつまでこの措置を続けるつもりなのだろうか。これは、県民の学びの場を奪うことになっていると思わないのだろうか。

もうコロナ対策ではいろんなことがわかってきている。図書館のようなしゃべらない場所で「人と人との間隔」を開ける必要は、ほとんどない。換気に気をつけることが最重要だ。

映画館も定員いっぱい入れられるようになっているのに、いつまでこんな状態を続けるつもりなのだろうか。

長崎県教育委員会のことだから、県民に勉強されて知恵をつけられたら困るのだろうか。根性論だけで何も考えられない長崎県教育委員会だから、多分、何も考えていないというのが正解だと思う。


2020年8月25日火曜日

宿泊施設でのコロナ対策はサービス低下を招く

Yahoo!ニュースで面白いコメントが付いていた。

『宿泊施設を独自に認証 旅先には長崎を(長崎県)』へのコメント

一度、あるお店で体温はかるサーモなんちゃらを受けたことあるけど、あれすっげー不快になるな。
「あ?おれ疑われてんの?」ていうすげー嫌な気持ちになる。
来い来い言いながら、同時に、来た客にこれって、接客としてどうなん?って正直おもった。

まさに正論である。私も全く同意見。

雑貨屋や衣料品店に入る時、検温を求められたら、私はその店には入らない。飲食店なら微妙だが、ふらりと入ろうと思った程度の店なら、入店時に検温されるなら、そこには入らない。

旅行関係のことについては、以前記事を書いたので参照して頂きたい。

新型コロナ陽性者が出る前提での観光推進を



宿泊施設におけるコロナ対策でいえば、感染防止対策をすることがサービス低下につながるということを自覚している宿泊施設の経営者はどれ位いるのだろうかということを、かなり疑問に思っている。

以下はコロナ対策による顧客サービス低下にどう対応するか悩んでいらっしゃる方の寄稿文である。

【寄稿】「ポストコロナの農村観光」 不要不急を田舎の特権に

この方は、コロナ対策でサービスが低下している状態では、お客さんに積極的に来て下さいとは言いにくいとおっしゃっている。そこまで悩んでいる宿泊施設の経営者は、どれ程いるのだろうか。


私は7月に一泊3万円以上する高級リゾートホテルに泊まった。そこは、フロントの人はマスクをしていたが、アクリル板などの遮へい物は一切無し。レストランの従業員は誰もマスクをしていなかった。

これは、このような対策がサービス低下につながるから、敢えてやっていなかったんだと感じた。私は非常に好感が持てて、旅行する時には極力このホテルチェーンを利用しようと強く思った。

星野リゾートの星野代表も、従業員のマスク着用は魅力の低下につながるから、極力避けるようにと指示しているそうだ。

【星野リゾート・星野佳路代表】「久しぶりに代表としてお呼びがかかった」。倒産確率を示して社員と共有した現状と未来

なぜなら、星野リゾートのサービスにおける顧客満足度というのは、施設よりもスタッフに対するもののほうが圧倒的に高いからです。「スタッフの笑顔が素晴らしい」という感想を毎日のようにいただく。マスクで表情が分からずしてスタッフの笑顔や気持ちが伝わるのかと思うからです。


そもそも宿泊客がコロナ対策を望んでいるのかどうかすら、きちんと把握しているとは思えない。旅行者はほんとうに宿泊施設での感染を恐れて旅行をしないのだろうか。単にまわりの目が気になって旅行しないだけじゃないのか。そもそも、マスクを着ける最大の理由が、「感染防止のため」じゃなくて「人がつけているから」なのが現状である。宿泊客が気にもしていない感染対策を取ってサービスを低下させて顧客離れを起こしていては、本末転倒なのだ。

以下のnote記事を見て頂きたい。

「徹底的なコロナ対策」の是非


これはネイルサロンの方が個人的に取ったアンケートの結果だが、何と68%の人が「徹底的に対策をしている感たっぷりのサロン」よりも「癒し優先・見ためは今まで通りのサロン」を選ぶと回答している。

比較的感染リスクが高いと思われるネイルサロンでもこの結果なのだから、感染リスクが低い宿泊施設で目に見える感染対策を求める宿泊客がどの程度いるのか、私もかなり興味がある。


できれば各ホテルはHPなどで、そのホテルの感染防止対策を事前に調べられるようにして欲しい。私は宿泊客にマスク着用を求めるホテルは避けるし、極力感染対策を取ってない所を選ぶ。アクリル板やビニールシートでフロントを遮へいしてあるような所も、避けたい。

先日雲仙に行った時の話を書いたが、仮に事前に各旅館の感染対策がわかっていれば、絶対に宿泊客にマスク着用を求めない所を選んだ。雲仙の旅館組合として、全ての宿泊施設で宿泊客へのマスク着用を求めるのであれば、雲仙には行かないと思っただろう。実際、今の時点では私は雲仙には当分行きたくないと思っている。


こういうことを、コンベンション協会なりがきちんと宿泊客にアンケートを取って集計するべきだと、強く思っている。簡単なものでいい。たとえば「宿泊客へのマスク着用要請」について「絶対必要」「できれば必要」「どちらでもいい」「できれば不要」「絶対不要」から選ぶ、という程度のものだ。そして、どの項目を宿泊客が必要と感じているか、不要と感じているか、分析するのだ。やらないのなら、何のためにDMOとしてコンベンション協会に多額の公費をつぎ込んでいるのか、わからない。

アンケート用紙はコンベンション協会が作って、各ホテルに預けて宿泊客に渡してもらえばいい。回答は郵送あるいはホテル預かりで、コンベンション協会が開封して集計する。結果は公表する。この程度のことは、できるはずだ。

そして、不要だと思う人が多い項目については、長崎大学の専門家と相談して、それでも対策が必要なのか、外していいのか、再度検討すればいい。例えば検温は評判が悪いから外せないのか、など。

ちなみに、従業員に対しても宿泊客に対しても、マスクの常時着用は、チームナガサキセーフティの中では求められていない。「せきエチケットなど」の対策を励行する、という項目があるだけだ。せきエチケットというのは、マスクをしていない前提の話である。


(8/26追記)
ちょうど長崎新聞にも以下の記事が出ていた。

コロナへの過剰対応を危惧 全国旅行業協会理事 長崎で講演


2020年8月20日木曜日

北陽台高校の感染防止対策を見て具合が悪くなった

内容はタイトルそのまんまです。
長崎新聞の記事から。

クラスター発生した長崎北陽台高 きょう再開 感染防止、心のケア徹底



北陽台高校でクラスターが発生した。果たしてその検証はちゃんとやったのだろうか。

私としては、この事例を検証し、これをきっかけに学校でのマスク着用をやめさせる方向に動けばいいな、と思っていたが、長崎県の教育委員会がそんなまともな施策を取るはずがないと、今さらながら考え直した。

学校でクラスターが発生したこと自体は不幸なことであるが、原因をしっかり究明して、それを今後の対策に役立てるというのは重要なことである。

当然、検証したのであれば結果は公表しないといけない。今回はできれば長崎大学の専門家にしっかり検証してもらいたいと思っていたが、県教委自らが調査してもいい。やったのかもしれないが、結果を公表しないと意味がない。

私が一番興味があるのは、どのようにして教室内で感染が起こったのか、ということである。私が思うのは、飛沫が直接先生から生徒に飛んで感染したのではなく、微細な水滴が教室中に充満し、冷房の流れに乗って教室中に感染が広がったのではないか、ということだ。

これは、感染した生徒がどの席に座っていたのかで検証できる。感染者は最前列の席の生徒が多いのか、エアコンの吹き出し口に近い人が多いのか、ということは、絶対に公表して欲しかった。


そして具合が悪くなる高校側の対応だが、さらに飛沫防止をするらしい。本当に飛沫が原因だったのかは、言われてない。

一番嫌になったのは、以下の部分。

県教委は同校に教員用のフェースシールド約60枚を導入。マスクと併用することで飛沫(ひまつ)感染を防ぐ考えで、声の通り具合や使い勝手を検証しながら、各学校への導入を検討していく。

フェイスシールドというのは飛沫を受けて感染することを防止するためのものだ。だから、先生から飛んできた飛沫を生徒が受けないように、生徒にシールドを着けさせるというのなら、理屈としてはわかる。何故先生がシールドを着けるのか。

最初に私が「これをきっかけに学校でのマスク着用をやめさせる方向に動けばいいな」と書いたのも理由がある。教員がマスクを着用することにより、感染拡大の危険性が高まる可能性もあるのだ。

マスクを着けて授業をすると息苦しくなる。息が上がる。すると、ウイルスの拡散量が増える可能性があるのだ。そういう研究論文も、実際にある。

クラスター発生の原因が何なのか、ということが、ここで重要になってくる。生徒が先生から直接飛沫を受けたのであれば、マスクをする合理性もある程度は認められる。しかし、いわゆるエアロゾル感染で教室中に細かい飛沫が充満していたのであれば、マスクは無意味だ。そもそもマスクをしていても感染したのだから、「マスクに意味はない」という発想にならない方が不思議だ。

そして、マスク着用でウイルスの拡散量が増えるという前提に立てば、教員はマスクを外すべきで、生徒が先生から直接飛沫を浴びて感染が広がったのなら、教壇と最前列の距離を取ればいいのだ。感染事例はあるのだから、何列目以降は大丈夫だというデータもある。マスクの有無で飛沫が飛ぶ距離は違ってくるだろうから、その辺は実験でもして、さらに何メートル開ければいいかを検証すればいい。


この記事を読んで思ったのは、やっぱり長崎県の高校は、「科学的に物事を考える」ことではなく、「精神面を鍛える」ことが今でも教育方針の中心なんだなあということだ。少なくとも感染事例を科学的に検証した形跡は見えない。

そして、「感染を防ぐこと」が目的ではなく、「感染対策をすること」が目的化している。受験指導と同じだ。

受験指導においても、「成績を上げること」が目的ではなく、「沢山勉強をすること」が目的化しているのが長崎県の高校である。私のように「勉強はしないのに成績がいい」生徒にとっては、ものすごく居心地が悪い。学校の中での風当たりは強く、そもそも私のような生徒は「あってはならない事例」として、いなかったことにされてしまう。

だいたい優秀な生徒は人格も伴っていることが多いので、無駄だと思っている勉強にも、周囲に合わせて付き合っている。私のように「無駄な勉強はしない」と明言する生徒は、まずいない。長崎の社会で生きていくには、無駄だと思うことも黙って付き合うような人間にならないといけない、ということが高校時代から叩き込まれるのだ。それはそれで、合理的ではあると思う。