2020年8月20日木曜日

北陽台高校の感染防止対策を見て具合が悪くなった

内容はタイトルそのまんまです。
長崎新聞の記事から。

クラスター発生した長崎北陽台高 きょう再開 感染防止、心のケア徹底



北陽台高校でクラスターが発生した。果たしてその検証はちゃんとやったのだろうか。

私としては、この事例を検証し、これをきっかけに学校でのマスク着用をやめさせる方向に動けばいいな、と思っていたが、長崎県の教育委員会がそんなまともな施策を取るはずがないと、今さらながら考え直した。

学校でクラスターが発生したこと自体は不幸なことであるが、原因をしっかり究明して、それを今後の対策に役立てるというのは重要なことである。

当然、検証したのであれば結果は公表しないといけない。今回はできれば長崎大学の専門家にしっかり検証してもらいたいと思っていたが、県教委自らが調査してもいい。やったのかもしれないが、結果を公表しないと意味がない。

私が一番興味があるのは、どのようにして教室内で感染が起こったのか、ということである。私が思うのは、飛沫が直接先生から生徒に飛んで感染したのではなく、微細な水滴が教室中に充満し、冷房の流れに乗って教室中に感染が広がったのではないか、ということだ。

これは、感染した生徒がどの席に座っていたのかで検証できる。感染者は最前列の席の生徒が多いのか、エアコンの吹き出し口に近い人が多いのか、ということは、絶対に公表して欲しかった。


そして具合が悪くなる高校側の対応だが、さらに飛沫防止をするらしい。本当に飛沫が原因だったのかは、言われてない。

一番嫌になったのは、以下の部分。

県教委は同校に教員用のフェースシールド約60枚を導入。マスクと併用することで飛沫(ひまつ)感染を防ぐ考えで、声の通り具合や使い勝手を検証しながら、各学校への導入を検討していく。

フェイスシールドというのは飛沫を受けて感染することを防止するためのものだ。だから、先生から飛んできた飛沫を生徒が受けないように、生徒にシールドを着けさせるというのなら、理屈としてはわかる。何故先生がシールドを着けるのか。

最初に私が「これをきっかけに学校でのマスク着用をやめさせる方向に動けばいいな」と書いたのも理由がある。教員がマスクを着用することにより、感染拡大の危険性が高まる可能性もあるのだ。

マスクを着けて授業をすると息苦しくなる。息が上がる。すると、ウイルスの拡散量が増える可能性があるのだ。そういう研究論文も、実際にある。

クラスター発生の原因が何なのか、ということが、ここで重要になってくる。生徒が先生から直接飛沫を受けたのであれば、マスクをする合理性もある程度は認められる。しかし、いわゆるエアロゾル感染で教室中に細かい飛沫が充満していたのであれば、マスクは無意味だ。そもそもマスクをしていても感染したのだから、「マスクに意味はない」という発想にならない方が不思議だ。

そして、マスク着用でウイルスの拡散量が増えるという前提に立てば、教員はマスクを外すべきで、生徒が先生から直接飛沫を浴びて感染が広がったのなら、教壇と最前列の距離を取ればいいのだ。感染事例はあるのだから、何列目以降は大丈夫だというデータもある。マスクの有無で飛沫が飛ぶ距離は違ってくるだろうから、その辺は実験でもして、さらに何メートル開ければいいかを検証すればいい。


この記事を読んで思ったのは、やっぱり長崎県の高校は、「科学的に物事を考える」ことではなく、「精神面を鍛える」ことが今でも教育方針の中心なんだなあということだ。少なくとも感染事例を科学的に検証した形跡は見えない。

そして、「感染を防ぐこと」が目的ではなく、「感染対策をすること」が目的化している。受験指導と同じだ。

受験指導においても、「成績を上げること」が目的ではなく、「沢山勉強をすること」が目的化しているのが長崎県の高校である。私のように「勉強はしないのに成績がいい」生徒にとっては、ものすごく居心地が悪い。学校の中での風当たりは強く、そもそも私のような生徒は「あってはならない事例」として、いなかったことにされてしまう。

だいたい優秀な生徒は人格も伴っていることが多いので、無駄だと思っている勉強にも、周囲に合わせて付き合っている。私のように「無駄な勉強はしない」と明言する生徒は、まずいない。長崎の社会で生きていくには、無駄だと思うことも黙って付き合うような人間にならないといけない、ということが高校時代から叩き込まれるのだ。それはそれで、合理的ではあると思う。