2019年4月26日金曜日

アイデアはタダではない

収支報告書の提出を済ませ、選挙関連の手続きも終了した。

そこで、最後に感想というか、常日ごろから感じていることを書いておく。


選挙後に複数の当選議員から「今後も色々と教えて下さい」とか「長崎の発展のために活躍して下さい」みたいなことを言われた。

しかし、もうタダで働く気持ちは、申し訳ないが、無い。本来アイデアはタダではないのだ。

このブログの内容を書くために、いくらのお金がかかっているのか(主に旅費であるが)、議員さん達は考えたことがあるのか。私は好きであちこちに行っているので、自腹を切っていることに対して不満がある訳ではない。そして、税金を使っている議員の視察旅行より、遥かに有意義な視察や研修を行っている自負はある。だから、公費で視察に行ける議員に対して、私がタダでアイデアを提供する義理はない、と以前から思っている。仮に私のアイデアを取り入れた議員の評判が上がっても、その議員の票になるだけで、私には何のメリットもない。そもそもいろんな知見を持っていることは、全く票につながらないのが現実であるし。


議員の視察旅行は行政の役にどれだけ立っているのだろうか。ほぼ役に立っていないと思わざるを得ないのが現状である。

議員視察でどこに行ったらいいかと相談を受けたこともある。そして実際に視察に行っても、何ら市政に反映されていない。具体的な例を挙げれば、駅周辺事業に関して富山に議員視察に視察に行っているが、富山の事例が長崎駅の事業に反映されることは全くない。反映されるべく努力している議員も、ほぼいない(ゼロではない)。議会の委員会を何度も傍聴したが、委員の議員は委員会の席で好き勝手なことを言うだけで、その発言が実現されるようにその後議員達が何か動いた形跡は、全くない。

今回の選挙の結果で民意が示されたので、視察の成果が何ら長崎駅の計画に反映されることもなく、どこのコンサルが書いたのかわからない当初案が、そのまま実行されることになる。このように、議員の視察旅行は全く無意味に終わっているし、視察の結果を活かそうとする議員も、ほぼ見受けられないのが現状である。

こういう現実を追認しているのも選挙結果であり民意なのだから、それに対して私が何かを言うつもりも、ない。

結局市民が議員に求めるのは、議会で何をやっているかではなく、いかに日常まめに地域の会合に来てくれて、自分たちに頭を下げてくれるのか、なのだ。議員先生達は議会ではたいした議論をせず、市側の提案をそのまま通すだけで、何ら問題がない。それは有権者が望んでいることなのだ。今回の選挙結果は、そこがはっきりした。


ただ今の流れだと、次の長崎市議会議員選挙は無投票になるかもしれない。「あの人」も次は確実に当選するだろう。幸福実現党の候補も当選する。

先日の県議会議員選挙でも、長崎市選挙区が無投票になる可能性があった。議員のなり手がいなくなる理由が、選挙戦を戦ってみて、ほんとうによくわかった。議会で議論をせず、有権者の会合に頻繁に顔を出し、頭を下げ続けるという議員の仕事が面白いだろうか。これでは立候補しようとする人がいなくなるのも、私は当然のことだと思うが、それを望んでいるのも有権者であるので、仕方がない。


私の居場所が長崎にない、ということも、はっきりしたと感じている。これまで県内のほぼ全ての大学に教員として雇ってもらうべく応募したが、全て断られている。長崎大学だけでもいろんな部署に応募していて、その数は10回以上になると思う。多すぎて数えていないのだが。そして、全く採用して頂ける気配は、ない。

非常勤講師として長年雇って頂いていた長崎総合科学大学も、最近雇い止めになったので(非合法な雇い止めではない。念のため。)、もう本当に長崎では私は必要とされていないと感じている。今回の出馬は、こういう事情も背景にある。


当選した議員さん達も、社交辞令でいいから「何かあなたのためにポストを用意する努力をしますから、その時には活躍して下さい」と言える人が多数派にならない限り、長崎からの人材流出は止まらないと思う。勝てば官軍、負けた者は勝てるまでタダで働け、という意識では、市政県政の将来は暗いのではないか。

有権者の意識も、「4年間タダで動け。話はそれからだ。」という意見のほうが圧倒的に強いように感じるので、正直もう居心地が悪いし、こんな住みにくい土地からは早く出ていった方がいいのだろう、私の意識は長崎には合わないんだな、というのが、現時点での感覚である。