昨日、十八銀行の担当者から私に面談のアポを取りたいとの連絡があった。
目的も言わずにアポだけ取りたいという点で怪しさ満点だったのだが、とりあえず時間の約束はした。
そして今日、約束の時間に次長と一緒にやって来た。
そこで契約書に印鑑を押すように言われたのだが、次長の説明と契約書の内容が全く違っていた。
私は次長に対し、「契約書の内容も次長の説明も了解できるものだが、説明と全く違う内容の契約書にハンコは押せない」と言って、帰ってもらった。
何が起こってるんでしょうね。とりあえず、「銀行が書面と違う説明を顧客にすることは通常あり得ないから、次長が嘘をついていると判断せざるを得ない」と言っておいたけど、福岡銀行との経営統合で十八銀行の中身がおかしくなっていることだけは、間違いなさそうだ。
動きがあれば、続報を掲載する予定です。
2019年5月17日金曜日
2019年5月10日金曜日
供託金が返還されました
今日、供託金の返還を受けた。無事、供託金返還ラインを越える得票はあったので(苦笑)。
これで選挙に関する事務的作業は全て終了した。
もう選挙に関わる必要がないと思うと、せいせいする感じだ。
昨日、選挙管理委員会から手紙が届き、その手紙を持って選管に行って証明書をもらい、その証明書を持って法務局に行き、供託金の返還手続きをする。何も難しい話ではない。
しかし、これがわからない現職議員がいるのが驚きである。驚きというか、この数ヶ月の選挙に関する事務作業で、現職議員と市職員とのやりとりを聞いていると、この程度では驚かなくなっているのが真相なのだ。ほんとうに、議員と職員のやりとりを有権者の方々に聞いてもらいたい、と、ほんとうに思うのが今の私の心境である。
返還手続きがわからないというが、選管から送ってきた手紙を見れば、はっきりやり方が書いてある。
と思って今見たら、全部は書いてなかった。
普通は、この手紙を見たら、選管に行くでしょ。
そして、供託金を払い戻すには法務局に行かなきゃいけないだろうね、と思って、供託時に法務局から貰った文書を読む。
それがこの文書。
こうなるのが普通の流れだと私は思うのだが、議員の常識は違うらしい。
もう供託金払ったのは何ヶ月も前だからね。そんな文書知らないよ、職員に聞けばいいさ、というのが、普通の議員の感覚みたいだ。
そして最初の話。どうやらこの議員は、手紙を全く読んでいないらしい。選管の人に法務局に行けと言われて、選管に行かずに法務局にいきなり来たんだって。
そんなことを選管の人が言うはずがないのだが、納得いかないようで、法務局から選管の職員に電話をかけていた。電話をかける前に手紙を読めよ、この手紙何行なんだよ、と言いたくなるのだが、どうやら議員には文章が読めない人が沢山いるらしい。
そもそも議員は読み書きが苦手な人が多い。議員の学歴が低くて困るという記事はアゴラに投稿したが、今の時代、学歴が低いことと読み書きの能力が低いことは相関が高い。そして私と比べて議員の学歴が低いと言っている訳ではなく、市・県の職員と比べて議員の学歴が低いことが問題だと言っている。そのくせ態度は職員より議員の方が大きいから、議員は職員に読み書きをさせるのが日常になっているようだ。
それで、届いた文書を読みもせずに職員に電話をかける、と。その電話でまわりにどれだけの迷惑をかけているのか、全く気にしていないそぶりである。
法務局の担当職員は1人。私はその職員が私の返還手続きを終えるまで、じっと待っている。その間に議員からの問い合わせがあるので、職員の作業が中断して、私の書類がなかなか出来上がらない。私が待っている間にも議員が何人か来たし、問い合わせの電話もかかってきた。
しかし、何で議員センセイ達は、有権者の前ではペコペコ頭を下げるのに、職員に対してはあんなに偉そうな態度を取るんだろうね。職員だって有権者なのに(苦笑)。一応、私には挨拶して行ったけど。
今日限りで選挙関係の作業も終わったので、こういう議員と職員のやり取りを見なくて済むだけでも、せいせいした気分である。
アゴラに日本は地方議員の数が多すぎるという記事があった。アメリカの地方議会は人数も少なく、ほぼボランティアだと紹介されているが、日本でもこんな議員しか(でないと)当選できないような現状を考えると、アメリカのようにボランティアベースにした方がいいと強く思うようになった。
今の議会は、議員の読み書き能力が職員より数段劣るので、職員が出した議案の内容を理解できず、職員に言われるとおりにそのまま議会で通す、という状況になっている。そういう議員を選んでいるのは有権者なので、議員に対してどうこうしろと言うつもりは無い。
しかし、文章の読み書きができない議員に年間1千万円以上の報酬と政務活動費を払う必要性は、全く無い。私はそういう議員を当選させる有権者が悪いと今まで思っていたが、今日の議員達の行動を見ていると、抜本的に議会制度を変えるしかないと、考えを改めた。
これで選挙に関する事務的作業は全て終了した。
もう選挙に関わる必要がないと思うと、せいせいする感じだ。
昨日、選挙管理委員会から手紙が届き、その手紙を持って選管に行って証明書をもらい、その証明書を持って法務局に行き、供託金の返還手続きをする。何も難しい話ではない。
しかし、これがわからない現職議員がいるのが驚きである。驚きというか、この数ヶ月の選挙に関する事務作業で、現職議員と市職員とのやりとりを聞いていると、この程度では驚かなくなっているのが真相なのだ。ほんとうに、議員と職員のやりとりを有権者の方々に聞いてもらいたい、と、ほんとうに思うのが今の私の心境である。
返還手続きがわからないというが、選管から送ってきた手紙を見れば、はっきりやり方が書いてある。
と思って今見たら、全部は書いてなかった。
普通は、この手紙を見たら、選管に行くでしょ。
そして、供託金を払い戻すには法務局に行かなきゃいけないだろうね、と思って、供託時に法務局から貰った文書を読む。
それがこの文書。
こうなるのが普通の流れだと私は思うのだが、議員の常識は違うらしい。
もう供託金払ったのは何ヶ月も前だからね。そんな文書知らないよ、職員に聞けばいいさ、というのが、普通の議員の感覚みたいだ。
そして最初の話。どうやらこの議員は、手紙を全く読んでいないらしい。選管の人に法務局に行けと言われて、選管に行かずに法務局にいきなり来たんだって。
そんなことを選管の人が言うはずがないのだが、納得いかないようで、法務局から選管の職員に電話をかけていた。電話をかける前に手紙を読めよ、この手紙何行なんだよ、と言いたくなるのだが、どうやら議員には文章が読めない人が沢山いるらしい。
そもそも議員は読み書きが苦手な人が多い。議員の学歴が低くて困るという記事はアゴラに投稿したが、今の時代、学歴が低いことと読み書きの能力が低いことは相関が高い。そして私と比べて議員の学歴が低いと言っている訳ではなく、市・県の職員と比べて議員の学歴が低いことが問題だと言っている。そのくせ態度は職員より議員の方が大きいから、議員は職員に読み書きをさせるのが日常になっているようだ。
それで、届いた文書を読みもせずに職員に電話をかける、と。その電話でまわりにどれだけの迷惑をかけているのか、全く気にしていないそぶりである。
法務局の担当職員は1人。私はその職員が私の返還手続きを終えるまで、じっと待っている。その間に議員からの問い合わせがあるので、職員の作業が中断して、私の書類がなかなか出来上がらない。私が待っている間にも議員が何人か来たし、問い合わせの電話もかかってきた。
しかし、何で議員センセイ達は、有権者の前ではペコペコ頭を下げるのに、職員に対してはあんなに偉そうな態度を取るんだろうね。職員だって有権者なのに(苦笑)。一応、私には挨拶して行ったけど。
今日限りで選挙関係の作業も終わったので、こういう議員と職員のやり取りを見なくて済むだけでも、せいせいした気分である。
アゴラに日本は地方議員の数が多すぎるという記事があった。アメリカの地方議会は人数も少なく、ほぼボランティアだと紹介されているが、日本でもこんな議員しか(でないと)当選できないような現状を考えると、アメリカのようにボランティアベースにした方がいいと強く思うようになった。
今の議会は、議員の読み書き能力が職員より数段劣るので、職員が出した議案の内容を理解できず、職員に言われるとおりにそのまま議会で通す、という状況になっている。そういう議員を選んでいるのは有権者なので、議員に対してどうこうしろと言うつもりは無い。
しかし、文章の読み書きができない議員に年間1千万円以上の報酬と政務活動費を払う必要性は、全く無い。私はそういう議員を当選させる有権者が悪いと今まで思っていたが、今日の議員達の行動を見ていると、抜本的に議会制度を変えるしかないと、考えを改めた。
2019年5月5日日曜日
私が市議選に当選するにはどうすればいいのか
選挙に関する話はアゴラにも投稿しているので、興味のある方はそちらも読んで頂きたい。
アゴラ「地方議員の成り手不足は解消できるか」
私も研究者の端くれとして、「私がどうすれば市議選に当選できるか」について「学術的に」考えてみたい。
今回の選挙は投票率が低く、浮動票が動かない、いかに基礎票を持っているかが重要だった。今後も投票率が低いことは予想されるので、いかに自分の基礎票を増やすかが課題になる。
私が獲得した票数は931。今回は当選ラインが低かったので、あと1200票あれば当選ラインを上回れたが、通常の選挙で当選するにはあと2000票は必要だ。
まずこの931票が、私と両親兄弟全ての同窓生など友人関係を集めた限界だと思う。今回の選挙戦では、友人知人関係以外には投票をお願いに行っていないこともあり、それ以外の票数はわずかだと思われる。
そして知人関係でこれ以上票を増やすのは相当困難なので、他から票を集めないといけない。知人関係を掘り起こせ、なんて意見は無責任。仮に倍になった所で当選ラインには届かないし、そもそも倍にするのだって相当大変である。市議選は、他の候補者とすぐぶつかる。直接の知人なら私に投票してもらえても、その知人はともかく親兄弟であっても、他の候補者にぶつかるのは日常茶飯事である。
ではどこから集めるのか。一番最初に思いつくのは、地元自治会である。
そのためには、浜の町などの中心商店街からの支持を得ないといけないのだが、私はこのブログにも書いている通り、中心商店街に対しては厳しい意見を持っている。議員になりたいからといって自分の意見を変えるつもりもないし、商店街からの支援を得たからといって商店街の利益を代弁するような議員になるつもりは毛頭ない。だから、地元からの支援を得る、ということは、不可能である。
地元以外からの支持を集めるには、それこそ市内全域でミニ集会を数多く開いて支援者を増やす以外の方法はない。いくらネットで政策を訴えても、今の長崎市の状況で支援者を増やすことが相当困難であろうことは、今回の選挙戦からも予想できる。だから、実際に集会を開いて政策を地道に訴えるしかないのだ。
こうしたやり方で2000人の支援者を増やすにはどうすればいいのか。1回20人集めるとして、100ヶ所。1年でやろうとすれば、週2回ペース。1ヶ所1回だけで参加した人数分の支援者を得られるとは限らないので、1ヶ所につき2回ずつ開催するとすれば、2年間は週2回ペースで集会を開かないといけない。
私はしゃべるのは得意なので、このペースで講演すること位は問題なくできると思う。しかし、どうやって会場の準備をしたり人を集めたりするのだろうか。
逆にいえば、それだけの準備を全部やってくれるという人がいれば、次の選挙に出ても構わないと思う。しかし、誰が、何のメリットがあって、そんな大変な作業をしようと思うだろうか。
市長選でも4年後の橋本氏の出馬に期待する声がある、という記事が長崎新聞に出ている。しかし期待するだけで何もしないのでは、当人はたまったものではないと思う。特に橋本氏は市議の職も失っているので、「落選した政治家は、その後どうやって生きていくのか問題」だってあるのだ。次に期待するのであれば、まず生活の世話から始まって、選挙に向けた手伝いは何ができるのか具体的に言って欲しい。何も手伝わないで期待だけする、というのは、無責任にもほどがある、と、落選者の立場として、声を大にして言いたい。
アゴラ「地方議員の成り手不足は解消できるか」
私も研究者の端くれとして、「私がどうすれば市議選に当選できるか」について「学術的に」考えてみたい。
今回の選挙は投票率が低く、浮動票が動かない、いかに基礎票を持っているかが重要だった。今後も投票率が低いことは予想されるので、いかに自分の基礎票を増やすかが課題になる。
私が獲得した票数は931。今回は当選ラインが低かったので、あと1200票あれば当選ラインを上回れたが、通常の選挙で当選するにはあと2000票は必要だ。
まずこの931票が、私と両親兄弟全ての同窓生など友人関係を集めた限界だと思う。今回の選挙戦では、友人知人関係以外には投票をお願いに行っていないこともあり、それ以外の票数はわずかだと思われる。
そして知人関係でこれ以上票を増やすのは相当困難なので、他から票を集めないといけない。知人関係を掘り起こせ、なんて意見は無責任。仮に倍になった所で当選ラインには届かないし、そもそも倍にするのだって相当大変である。市議選は、他の候補者とすぐぶつかる。直接の知人なら私に投票してもらえても、その知人はともかく親兄弟であっても、他の候補者にぶつかるのは日常茶飯事である。
ではどこから集めるのか。一番最初に思いつくのは、地元自治会である。
そのためには、浜の町などの中心商店街からの支持を得ないといけないのだが、私はこのブログにも書いている通り、中心商店街に対しては厳しい意見を持っている。議員になりたいからといって自分の意見を変えるつもりもないし、商店街からの支援を得たからといって商店街の利益を代弁するような議員になるつもりは毛頭ない。だから、地元からの支援を得る、ということは、不可能である。
地元以外からの支持を集めるには、それこそ市内全域でミニ集会を数多く開いて支援者を増やす以外の方法はない。いくらネットで政策を訴えても、今の長崎市の状況で支援者を増やすことが相当困難であろうことは、今回の選挙戦からも予想できる。だから、実際に集会を開いて政策を地道に訴えるしかないのだ。
こうしたやり方で2000人の支援者を増やすにはどうすればいいのか。1回20人集めるとして、100ヶ所。1年でやろうとすれば、週2回ペース。1ヶ所1回だけで参加した人数分の支援者を得られるとは限らないので、1ヶ所につき2回ずつ開催するとすれば、2年間は週2回ペースで集会を開かないといけない。
私はしゃべるのは得意なので、このペースで講演すること位は問題なくできると思う。しかし、どうやって会場の準備をしたり人を集めたりするのだろうか。
逆にいえば、それだけの準備を全部やってくれるという人がいれば、次の選挙に出ても構わないと思う。しかし、誰が、何のメリットがあって、そんな大変な作業をしようと思うだろうか。
市長選でも4年後の橋本氏の出馬に期待する声がある、という記事が長崎新聞に出ている。しかし期待するだけで何もしないのでは、当人はたまったものではないと思う。特に橋本氏は市議の職も失っているので、「落選した政治家は、その後どうやって生きていくのか問題」だってあるのだ。次に期待するのであれば、まず生活の世話から始まって、選挙に向けた手伝いは何ができるのか具体的に言って欲しい。何も手伝わないで期待だけする、というのは、無責任にもほどがある、と、落選者の立場として、声を大にして言いたい。
2019年4月28日日曜日
根が深い「あいさつ問題」
選挙に出てよくわかったのは、とにかく周囲の人間は候補者に「頭を下げろ」と言うことだ。
有権者は自分に頭を下げてくれる人に投票したがる。これは選挙期間中だけのことではなく、日常ずっとだ。だから、議員は次の選挙に通るために、地域のいろんな会合に出て頭を下げ続けることになる。それを続けていれば、地域まわりで忙しくなり政策を磨く時間が取れるはずはない。
ちなみに議員が不祥事を起こせば、支持者に頭を下げて回る。これを繰り返せば、この議員は他の議員より数倍支持者に頭を下げる。本人だけでなく親も頭を下げて回る。結果として相当頭を下げることになるので、一度は落ちても次の選挙では当選する、というからくりだと、今回思った。
私が出馬にあたって地元自治会や会社などに挨拶に行かなかったのも、最初にこういう所に顔を出すと、当選した場合、絶対に4年間自治会の行事を最優先に行動しないといけなくなることが明白だったからだ。地域まわりをしていれば、もっと票が取れていたと思う。少なくとも最下位ではなかったはずだ。余談になるが、私が最下位だったのは、供託金没収ライン付近に留まる「ほんとうの」泡沫候補が出馬していなかったことが大きい(苦笑)。最下位とは言っても供託金没収ラインの倍以上の票は取っているのだ。1回前の選挙結果だと、票数的には私の下に3人いる。低いレベルの泡沫候補が出ない位、市議会議員の候補者不足が深刻だという見方もできる。
私がこのブログに書いているような政策を出せるのも、日本中世界中あちこちに出かけていて見聞を広め、かつ積極的に学会等に参加して意見交流をしているからである(敢えて『勉強しに行っている』とは言わない。東大教授でも私に意見を求めることは多い。)。私が地域の行事に縛られて外出頻度が下がると、私なりの発想は生まれなくなるので、私が議員になる価値はなくなる。地域の声を聞くことが目的で議員になるのなら、私以外に適任者は沢山いる。私が最下位だったのも、この意味では妥当だと思う。私以外の全候補者が、地域の声を聞くことに対する適性に関しては、間違いなく私よりも遥かに上回っているからだ。また「地域の活動に参加したくない」というつもりはない。「地域の活動を最優先にしたくない」というだけだ。最近の私の生活だと、月の半分も長崎にいない、ということも珍しくない。その生活を変えたくない。議員になれば議員の活動が増えるので、私の生活にに地域の活動を入れる余裕はかなり少なくなるだろう、と出馬にあたって思った。
それはともあれ、「挨拶をしない」といって怒る人が多いのには、昔から困らせられる問題だ。私は人の顔を覚えるのが苦手で、相手は私を知っていても、私は相手のことを知らない。挨拶をしたのに返事もしなかった、と怒られるのなら当然だが、相手は何もしていないくせに、私が挨拶しなかったといって、陰で大騒ぎをする、という事例が、珍しくない。
選挙期間中なら、道ですれ違う人全員に「お願いします」と挨拶をしていたから問題はない。しかしもし当選すれば、それこそ外ですれ違う全員に挨拶をする生活をずっと続けないといけない。私は長崎市中心部のマンション暮らしで、マンションの中では誰にでも挨拶をするが、外に出ると市の中心部なので、いろんな所に住んでいる人が歩いている。観光客だって多い。仮に自治会に推薦されて当選したとなれば、どこに地域住民がいるかわからないので、顔を覚えてない以上は、マンションの外に出ても全員に挨拶するしか、地元で生きる道はなくなる。
以前スポーツクラブの更衣室で、誰にでも挨拶をしているおじいさんがいると思えば、元市長だった。市長をやめて相当の年月が経っていたが、挨拶をする習慣は続いているのだなぁ、と思った。私にそれはできない。
これは議員に限った話ではなく、日常でも同じことだ。私が30代前半で長崎に戻ってきた時に、こうなるのは予想していたが、実際は想像以上にひどいものだった。対策は2つしかない。人の顔を覚えられなくても頑張って覚えるか、極力人に会わないようにするかだ。私はとにかく人に会わないようにした。そもそも市外への外出が多いので、長崎にいる間は家にこもっていれば人に会わないで済む。人的交流は今の時代SNSがある。直接の人付き合いは私の場合長崎よりも他所の人間の方が多い。facebookで友達になっている人も県外在住者の方が多い。市外で友人と連絡を取って会うことはあっても、長崎市内で知人と会うことは、今も全くない。それが私にとって精神的ストレスが少ない生活スタイルなのだ。
こういう経験をふまえて思うのは、どうして長崎の人は東京から戻ってきた若者に対して、ここまで冷たいのだろうか、ということだ。私は若い頃に一度は都会の生活を送る方がいいと思っている。そこでの経験を長崎に持ち込むのが、長崎の発展につながるはずだからだ。
しかし現実には、大企業の役員を勤めて定年過ぎて長崎に戻る、というような人は別だろうが、20代30代で戻ってきた若者に対して、長崎の人は冷たい。いくら若くして経験豊富な人材であっても、『長崎では1年生なんだから、1からやり直せ』という態度だ。『地元には地元のやり方があるんだから、黙ってそれに従え』という感じで、他所の出身者に対してはそんなことはないのだろうが、地元出身で戻ってきた人に対しては、完全に自分より下の人間として扱う。これではせっかく長崎に帰ってきても、また東京に戻りたくなるし、実際に戻る人間も多い。私も東京に戻るつもりだったが、たまたま父がそのタイミングで他界し会社を継ぐ人間が他にいなかったので、長崎に残るしかなかったという経緯がある。長崎に住んではいても、人間関係は地元以外ばかりで全国に散らばっているので、そういう意味では東京に戻ったも同然ではあるのだが。長崎は生活するのにはいい所だと思っているが、人間関係は正直言って長崎で作りたくない。だから選挙に落ちる(苦笑)。
言っては悪いが私も30歳前後で東京にいた時は、周囲からそれなりの尊厳をもって扱われていた。例えば長崎で30歳大学准教授の人に対して、周囲はどんな扱いをするだろうか。私もそれに準じた扱いを、東京ではされていた。それが長崎に来てからの扱われようといったら、精神的に耐えられるものではかった。そして市議選の候補者としては、それ以上にひどい扱われ方をされることになる。
人口流出対策で、そもそも長崎から人が出ないようにしようという発想も強いようだが、根本的に考え方を改めないといけないと思う。
有権者は自分に頭を下げてくれる人に投票したがる。これは選挙期間中だけのことではなく、日常ずっとだ。だから、議員は次の選挙に通るために、地域のいろんな会合に出て頭を下げ続けることになる。それを続けていれば、地域まわりで忙しくなり政策を磨く時間が取れるはずはない。
ちなみに議員が不祥事を起こせば、支持者に頭を下げて回る。これを繰り返せば、この議員は他の議員より数倍支持者に頭を下げる。本人だけでなく親も頭を下げて回る。結果として相当頭を下げることになるので、一度は落ちても次の選挙では当選する、というからくりだと、今回思った。
私が出馬にあたって地元自治会や会社などに挨拶に行かなかったのも、最初にこういう所に顔を出すと、当選した場合、絶対に4年間自治会の行事を最優先に行動しないといけなくなることが明白だったからだ。地域まわりをしていれば、もっと票が取れていたと思う。少なくとも最下位ではなかったはずだ。余談になるが、私が最下位だったのは、供託金没収ライン付近に留まる「ほんとうの」泡沫候補が出馬していなかったことが大きい(苦笑)。最下位とは言っても供託金没収ラインの倍以上の票は取っているのだ。1回前の選挙結果だと、票数的には私の下に3人いる。低いレベルの泡沫候補が出ない位、市議会議員の候補者不足が深刻だという見方もできる。
私がこのブログに書いているような政策を出せるのも、日本中世界中あちこちに出かけていて見聞を広め、かつ積極的に学会等に参加して意見交流をしているからである(敢えて『勉強しに行っている』とは言わない。東大教授でも私に意見を求めることは多い。)。私が地域の行事に縛られて外出頻度が下がると、私なりの発想は生まれなくなるので、私が議員になる価値はなくなる。地域の声を聞くことが目的で議員になるのなら、私以外に適任者は沢山いる。私が最下位だったのも、この意味では妥当だと思う。私以外の全候補者が、地域の声を聞くことに対する適性に関しては、間違いなく私よりも遥かに上回っているからだ。また「地域の活動に参加したくない」というつもりはない。「地域の活動を最優先にしたくない」というだけだ。最近の私の生活だと、月の半分も長崎にいない、ということも珍しくない。その生活を変えたくない。議員になれば議員の活動が増えるので、私の生活にに地域の活動を入れる余裕はかなり少なくなるだろう、と出馬にあたって思った。
それはともあれ、「挨拶をしない」といって怒る人が多いのには、昔から困らせられる問題だ。私は人の顔を覚えるのが苦手で、相手は私を知っていても、私は相手のことを知らない。挨拶をしたのに返事もしなかった、と怒られるのなら当然だが、相手は何もしていないくせに、私が挨拶しなかったといって、陰で大騒ぎをする、という事例が、珍しくない。
選挙期間中なら、道ですれ違う人全員に「お願いします」と挨拶をしていたから問題はない。しかしもし当選すれば、それこそ外ですれ違う全員に挨拶をする生活をずっと続けないといけない。私は長崎市中心部のマンション暮らしで、マンションの中では誰にでも挨拶をするが、外に出ると市の中心部なので、いろんな所に住んでいる人が歩いている。観光客だって多い。仮に自治会に推薦されて当選したとなれば、どこに地域住民がいるかわからないので、顔を覚えてない以上は、マンションの外に出ても全員に挨拶するしか、地元で生きる道はなくなる。
以前スポーツクラブの更衣室で、誰にでも挨拶をしているおじいさんがいると思えば、元市長だった。市長をやめて相当の年月が経っていたが、挨拶をする習慣は続いているのだなぁ、と思った。私にそれはできない。
これは議員に限った話ではなく、日常でも同じことだ。私が30代前半で長崎に戻ってきた時に、こうなるのは予想していたが、実際は想像以上にひどいものだった。対策は2つしかない。人の顔を覚えられなくても頑張って覚えるか、極力人に会わないようにするかだ。私はとにかく人に会わないようにした。そもそも市外への外出が多いので、長崎にいる間は家にこもっていれば人に会わないで済む。人的交流は今の時代SNSがある。直接の人付き合いは私の場合長崎よりも他所の人間の方が多い。facebookで友達になっている人も県外在住者の方が多い。市外で友人と連絡を取って会うことはあっても、長崎市内で知人と会うことは、今も全くない。それが私にとって精神的ストレスが少ない生活スタイルなのだ。
こういう経験をふまえて思うのは、どうして長崎の人は東京から戻ってきた若者に対して、ここまで冷たいのだろうか、ということだ。私は若い頃に一度は都会の生活を送る方がいいと思っている。そこでの経験を長崎に持ち込むのが、長崎の発展につながるはずだからだ。
しかし現実には、大企業の役員を勤めて定年過ぎて長崎に戻る、というような人は別だろうが、20代30代で戻ってきた若者に対して、長崎の人は冷たい。いくら若くして経験豊富な人材であっても、『長崎では1年生なんだから、1からやり直せ』という態度だ。『地元には地元のやり方があるんだから、黙ってそれに従え』という感じで、他所の出身者に対してはそんなことはないのだろうが、地元出身で戻ってきた人に対しては、完全に自分より下の人間として扱う。これではせっかく長崎に帰ってきても、また東京に戻りたくなるし、実際に戻る人間も多い。私も東京に戻るつもりだったが、たまたま父がそのタイミングで他界し会社を継ぐ人間が他にいなかったので、長崎に残るしかなかったという経緯がある。長崎に住んではいても、人間関係は地元以外ばかりで全国に散らばっているので、そういう意味では東京に戻ったも同然ではあるのだが。長崎は生活するのにはいい所だと思っているが、人間関係は正直言って長崎で作りたくない。だから選挙に落ちる(苦笑)。
言っては悪いが私も30歳前後で東京にいた時は、周囲からそれなりの尊厳をもって扱われていた。例えば長崎で30歳大学准教授の人に対して、周囲はどんな扱いをするだろうか。私もそれに準じた扱いを、東京ではされていた。それが長崎に来てからの扱われようといったら、精神的に耐えられるものではかった。そして市議選の候補者としては、それ以上にひどい扱われ方をされることになる。
人口流出対策で、そもそも長崎から人が出ないようにしようという発想も強いようだが、根本的に考え方を改めないといけないと思う。
2019年4月26日金曜日
アイデアはタダではない
収支報告書の提出を済ませ、選挙関連の手続きも終了した。
そこで、最後に感想というか、常日ごろから感じていることを書いておく。
選挙後に複数の当選議員から「今後も色々と教えて下さい」とか「長崎の発展のために活躍して下さい」みたいなことを言われた。
しかし、もうタダで働く気持ちは、申し訳ないが、無い。本来アイデアはタダではないのだ。
このブログの内容を書くために、いくらのお金がかかっているのか(主に旅費であるが)、議員さん達は考えたことがあるのか。私は好きであちこちに行っているので、自腹を切っていることに対して不満がある訳ではない。そして、税金を使っている議員の視察旅行より、遥かに有意義な視察や研修を行っている自負はある。だから、公費で視察に行ける議員に対して、私がタダでアイデアを提供する義理はない、と以前から思っている。仮に私のアイデアを取り入れた議員の評判が上がっても、その議員の票になるだけで、私には何のメリットもない。そもそもいろんな知見を持っていることは、全く票につながらないのが現実であるし。
議員の視察旅行は行政の役にどれだけ立っているのだろうか。ほぼ役に立っていないと思わざるを得ないのが現状である。
議員視察でどこに行ったらいいかと相談を受けたこともある。そして実際に視察に行っても、何ら市政に反映されていない。具体的な例を挙げれば、駅周辺事業に関して富山に議員視察に視察に行っているが、富山の事例が長崎駅の事業に反映されることは全くない。反映されるべく努力している議員も、ほぼいない(ゼロではない)。議会の委員会を何度も傍聴したが、委員の議員は委員会の席で好き勝手なことを言うだけで、その発言が実現されるようにその後議員達が何か動いた形跡は、全くない。
今回の選挙の結果で民意が示されたので、視察の成果が何ら長崎駅の計画に反映されることもなく、どこのコンサルが書いたのかわからない当初案が、そのまま実行されることになる。このように、議員の視察旅行は全く無意味に終わっているし、視察の結果を活かそうとする議員も、ほぼ見受けられないのが現状である。
こういう現実を追認しているのも選挙結果であり民意なのだから、それに対して私が何かを言うつもりも、ない。
結局市民が議員に求めるのは、議会で何をやっているかではなく、いかに日常まめに地域の会合に来てくれて、自分たちに頭を下げてくれるのか、なのだ。議員先生達は議会ではたいした議論をせず、市側の提案をそのまま通すだけで、何ら問題がない。それは有権者が望んでいることなのだ。今回の選挙結果は、そこがはっきりした。
ただ今の流れだと、次の長崎市議会議員選挙は無投票になるかもしれない。「あの人」も次は確実に当選するだろう。幸福実現党の候補も当選する。
先日の県議会議員選挙でも、長崎市選挙区が無投票になる可能性があった。議員のなり手がいなくなる理由が、選挙戦を戦ってみて、ほんとうによくわかった。議会で議論をせず、有権者の会合に頻繁に顔を出し、頭を下げ続けるという議員の仕事が面白いだろうか。これでは立候補しようとする人がいなくなるのも、私は当然のことだと思うが、それを望んでいるのも有権者であるので、仕方がない。
私の居場所が長崎にない、ということも、はっきりしたと感じている。これまで県内のほぼ全ての大学に教員として雇ってもらうべく応募したが、全て断られている。長崎大学だけでもいろんな部署に応募していて、その数は10回以上になると思う。多すぎて数えていないのだが。そして、全く採用して頂ける気配は、ない。
非常勤講師として長年雇って頂いていた長崎総合科学大学も、最近雇い止めになったので(非合法な雇い止めではない。念のため。)、もう本当に長崎では私は必要とされていないと感じている。今回の出馬は、こういう事情も背景にある。
当選した議員さん達も、社交辞令でいいから「何かあなたのためにポストを用意する努力をしますから、その時には活躍して下さい」と言える人が多数派にならない限り、長崎からの人材流出は止まらないと思う。勝てば官軍、負けた者は勝てるまでタダで働け、という意識では、市政県政の将来は暗いのではないか。
有権者の意識も、「4年間タダで動け。話はそれからだ。」という意見のほうが圧倒的に強いように感じるので、正直もう居心地が悪いし、こんな住みにくい土地からは早く出ていった方がいいのだろう、私の意識は長崎には合わないんだな、というのが、現時点での感覚である。
そこで、最後に感想というか、常日ごろから感じていることを書いておく。
選挙後に複数の当選議員から「今後も色々と教えて下さい」とか「長崎の発展のために活躍して下さい」みたいなことを言われた。
しかし、もうタダで働く気持ちは、申し訳ないが、無い。本来アイデアはタダではないのだ。
このブログの内容を書くために、いくらのお金がかかっているのか(主に旅費であるが)、議員さん達は考えたことがあるのか。私は好きであちこちに行っているので、自腹を切っていることに対して不満がある訳ではない。そして、税金を使っている議員の視察旅行より、遥かに有意義な視察や研修を行っている自負はある。だから、公費で視察に行ける議員に対して、私がタダでアイデアを提供する義理はない、と以前から思っている。仮に私のアイデアを取り入れた議員の評判が上がっても、その議員の票になるだけで、私には何のメリットもない。そもそもいろんな知見を持っていることは、全く票につながらないのが現実であるし。
議員の視察旅行は行政の役にどれだけ立っているのだろうか。ほぼ役に立っていないと思わざるを得ないのが現状である。
議員視察でどこに行ったらいいかと相談を受けたこともある。そして実際に視察に行っても、何ら市政に反映されていない。具体的な例を挙げれば、駅周辺事業に関して富山に議員視察に視察に行っているが、富山の事例が長崎駅の事業に反映されることは全くない。反映されるべく努力している議員も、ほぼいない(ゼロではない)。議会の委員会を何度も傍聴したが、委員の議員は委員会の席で好き勝手なことを言うだけで、その発言が実現されるようにその後議員達が何か動いた形跡は、全くない。
今回の選挙の結果で民意が示されたので、視察の成果が何ら長崎駅の計画に反映されることもなく、どこのコンサルが書いたのかわからない当初案が、そのまま実行されることになる。このように、議員の視察旅行は全く無意味に終わっているし、視察の結果を活かそうとする議員も、ほぼ見受けられないのが現状である。
こういう現実を追認しているのも選挙結果であり民意なのだから、それに対して私が何かを言うつもりも、ない。
結局市民が議員に求めるのは、議会で何をやっているかではなく、いかに日常まめに地域の会合に来てくれて、自分たちに頭を下げてくれるのか、なのだ。議員先生達は議会ではたいした議論をせず、市側の提案をそのまま通すだけで、何ら問題がない。それは有権者が望んでいることなのだ。今回の選挙結果は、そこがはっきりした。
ただ今の流れだと、次の長崎市議会議員選挙は無投票になるかもしれない。「あの人」も次は確実に当選するだろう。幸福実現党の候補も当選する。
先日の県議会議員選挙でも、長崎市選挙区が無投票になる可能性があった。議員のなり手がいなくなる理由が、選挙戦を戦ってみて、ほんとうによくわかった。議会で議論をせず、有権者の会合に頻繁に顔を出し、頭を下げ続けるという議員の仕事が面白いだろうか。これでは立候補しようとする人がいなくなるのも、私は当然のことだと思うが、それを望んでいるのも有権者であるので、仕方がない。
私の居場所が長崎にない、ということも、はっきりしたと感じている。これまで県内のほぼ全ての大学に教員として雇ってもらうべく応募したが、全て断られている。長崎大学だけでもいろんな部署に応募していて、その数は10回以上になると思う。多すぎて数えていないのだが。そして、全く採用して頂ける気配は、ない。
非常勤講師として長年雇って頂いていた長崎総合科学大学も、最近雇い止めになったので(非合法な雇い止めではない。念のため。)、もう本当に長崎では私は必要とされていないと感じている。今回の出馬は、こういう事情も背景にある。
当選した議員さん達も、社交辞令でいいから「何かあなたのためにポストを用意する努力をしますから、その時には活躍して下さい」と言える人が多数派にならない限り、長崎からの人材流出は止まらないと思う。勝てば官軍、負けた者は勝てるまでタダで働け、という意識では、市政県政の将来は暗いのではないか。
有権者の意識も、「4年間タダで動け。話はそれからだ。」という意見のほうが圧倒的に強いように感じるので、正直もう居心地が悪いし、こんな住みにくい土地からは早く出ていった方がいいのだろう、私の意識は長崎には合わないんだな、というのが、現時点での感覚である。
2019年3月25日月曜日
32階建ての群馬県庁舎に行ってきた
以前ブログに書いたが、長崎市庁舎が19階建ての計画だから「豪華庁舎だ」として批判する人が多い。
しかし、高層だから豪華だ、というのは時代錯誤も甚だしい。今の時代、20階建て程度で建設費がべらぼうに高くなることはない。私は、新市庁舎は高層化すべきだという考えだ。
という訳で、32階建ての群馬県庁舎を見てきたので、その感想。
ちなみに群馬県庁舎については、さとわき清隆長崎県議のブログに視察の記事があった。
それによると、群馬県庁舎の建設費は長崎県庁舎の1.5倍だそうで。32階建てなのに、長崎県庁舎の1.5倍しかかかってない。高いから豪華だ、って訳じゃないのだ。
さらにその後25階建ての茨城県庁舎の視察に行かれていて、茨城は長崎のおよそ倍の建設費で、群馬より高いのだ。だから、高さと建設費が比例する訳じゃないの。長崎市民、もっと賢くなってよ、お願いだから。
では群馬県庁舎の話に戻る。
いや、大きい。
まわりに何もない所だから、遠くから見ても目立つ。
こういう場所に、この高さが必要だったのかという気はするけど、何はさておき最上階の展望フロアに行ってみる。
景色は抜群にいい。
ここも長崎県庁舎と同じで、高校生が勉強する場所として使っているのだろう。
1つ下の31階にはレストランが2つ入っている。
ちょっと高そうな感じだけど、庶民が使いやすいようにもう少し低価格帯のお店を入れた方がいいんじゃないかと思った。
トイレからの見晴らしも抜群。
洗面台も、景色が見えるものと鏡が見られるものの2種類あった。
それで思うのは、こういう建物を民間が作れない地方であれば、役所が作ってもいいんじゃないかな、ということ。東京だって都庁の展望台はあるが、無料なので民業の圧迫になっている。民間ができる所は民間に任せて、民間ができない所は行政がやっていいのではないかと思う。
問題は、この高さにする必然性があるのかどうか、だろう。床面積が同じで、細くて高いビルと、低くて太いビルの、どちらなら建設費がいくらになるのか、という見積もりを出して、それをもとに住民が判断すればいいのではないか。どちらでも建設費に差がないのであれば、高いビルを立てた方がいいと、私は思う。
その後、高崎市役所にも行ってきた。こちらは21階建てで、19階建ての長崎市庁舎の参考になるだろう。
私が泊まったホテルの窓から。正面に見える高いビルが高崎市役所庁舎。
近くで見ると、こんな感じ。県庁よりは、細い。
21階展望室からの景色。
もう少し低くても見晴らしは確保できるだろうけど、これ位の高さがあった方がいいんじゃないかな、という気がした。
長崎市庁舎のことを考えると、丘の下にあるので、多分20階位はないと視界が確保できないと思う。今の時代ならドローンを上げれば、何階だとどういう景色になる、ということをすぐに確認できるのだから、長崎市は、15階ならこんな感じ、20階ならこんな感じ、という画像を市民に見せて判断材料にすべきだと思う。
前橋や高崎の場合には、この庁舎の展望台がどれだけ観光に寄与しているのかは正直疑問だ。しかし長崎市の場合は以前指摘した通り、出島から眼鏡橋まで来ている観光客を市庁舎に呼び込むことで、そこから博物館、諏訪神社、新大工商店街方面への回遊性を持たせられるので、大きな意味がある。「高いから豪華だ」という意味のわからない反対をするのではなく、もう少し冷静に考えて欲しい。
しかし、高層だから豪華だ、というのは時代錯誤も甚だしい。今の時代、20階建て程度で建設費がべらぼうに高くなることはない。私は、新市庁舎は高層化すべきだという考えだ。
という訳で、32階建ての群馬県庁舎を見てきたので、その感想。
ちなみに群馬県庁舎については、さとわき清隆長崎県議のブログに視察の記事があった。
それによると、群馬県庁舎の建設費は長崎県庁舎の1.5倍だそうで。32階建てなのに、長崎県庁舎の1.5倍しかかかってない。高いから豪華だ、って訳じゃないのだ。
さらにその後25階建ての茨城県庁舎の視察に行かれていて、茨城は長崎のおよそ倍の建設費で、群馬より高いのだ。だから、高さと建設費が比例する訳じゃないの。長崎市民、もっと賢くなってよ、お願いだから。
では群馬県庁舎の話に戻る。
いや、大きい。
まわりに何もない所だから、遠くから見ても目立つ。
こういう場所に、この高さが必要だったのかという気はするけど、何はさておき最上階の展望フロアに行ってみる。
景色は抜群にいい。
ここも長崎県庁舎と同じで、高校生が勉強する場所として使っているのだろう。
1つ下の31階にはレストランが2つ入っている。
ちょっと高そうな感じだけど、庶民が使いやすいようにもう少し低価格帯のお店を入れた方がいいんじゃないかと思った。
トイレからの見晴らしも抜群。
洗面台も、景色が見えるものと鏡が見られるものの2種類あった。
それで思うのは、こういう建物を民間が作れない地方であれば、役所が作ってもいいんじゃないかな、ということ。東京だって都庁の展望台はあるが、無料なので民業の圧迫になっている。民間ができる所は民間に任せて、民間ができない所は行政がやっていいのではないかと思う。
問題は、この高さにする必然性があるのかどうか、だろう。床面積が同じで、細くて高いビルと、低くて太いビルの、どちらなら建設費がいくらになるのか、という見積もりを出して、それをもとに住民が判断すればいいのではないか。どちらでも建設費に差がないのであれば、高いビルを立てた方がいいと、私は思う。
その後、高崎市役所にも行ってきた。こちらは21階建てで、19階建ての長崎市庁舎の参考になるだろう。
私が泊まったホテルの窓から。正面に見える高いビルが高崎市役所庁舎。
近くで見ると、こんな感じ。県庁よりは、細い。
21階展望室からの景色。
もう少し低くても見晴らしは確保できるだろうけど、これ位の高さがあった方がいいんじゃないかな、という気がした。
長崎市庁舎のことを考えると、丘の下にあるので、多分20階位はないと視界が確保できないと思う。今の時代ならドローンを上げれば、何階だとどういう景色になる、ということをすぐに確認できるのだから、長崎市は、15階ならこんな感じ、20階ならこんな感じ、という画像を市民に見せて判断材料にすべきだと思う。
前橋や高崎の場合には、この庁舎の展望台がどれだけ観光に寄与しているのかは正直疑問だ。しかし長崎市の場合は以前指摘した通り、出島から眼鏡橋まで来ている観光客を市庁舎に呼び込むことで、そこから博物館、諏訪神社、新大工商店街方面への回遊性を持たせられるので、大きな意味がある。「高いから豪華だ」という意味のわからない反対をするのではなく、もう少し冷静に考えて欲しい。
2019年3月3日日曜日
長崎新聞の記者はどこまで長崎駅前整備のことに関心を持っていたの?
ただの愚痴です。
3月1日付けの長崎新聞の「記者の目」。
後藤敦記者の駄文。
一部引用する。
いやね、この記事を読む限り、市議会や議会の特別委員会で、この問題について散々議論してきたことを、後藤記者は知らないんじゃないか、と、正直思う。外部(私)の意見や先進例について、散々今まで提案してきた。このブログにも沢山書いてきた。それを市がやらないと言って、全部蹴ってきたのだ。
私も長崎新聞の記者に対して、この問題は重要だから、特集でも組んでくれと散々お願いしてきたのだが、ほとんど記事になることもなかった。
長崎新聞が重要でないと判断して、今までほぼ無視してきた話題について、今さらとやかく言うのも、何なんだろうか、という気分である。
3月1日付けの長崎新聞の「記者の目」。
後藤敦記者の駄文。
一部引用する。
市長は「工夫の余地がある」と引き取ったが、残された時間は少ない。微調整でお茶を濁すのか、外部の意見や先進例を取り入れて対策を練り直すかで、県都の将来は随分変わるような気がする。
いやね、この記事を読む限り、市議会や議会の特別委員会で、この問題について散々議論してきたことを、後藤記者は知らないんじゃないか、と、正直思う。外部(私)の意見や先進例について、散々今まで提案してきた。このブログにも沢山書いてきた。それを市がやらないと言って、全部蹴ってきたのだ。
私も長崎新聞の記者に対して、この問題は重要だから、特集でも組んでくれと散々お願いしてきたのだが、ほとんど記事になることもなかった。
長崎新聞が重要でないと判断して、今までほぼ無視してきた話題について、今さらとやかく言うのも、何なんだろうか、という気分である。
登録:
投稿 (Atom)